サイレントマジョリティー(マジメ版)

本稿はpiggy氏による罪と罰の議論に続く形となる。

まずはそちらとそちらのコメント欄をご覧に入れてからお読み頂きたい。

 

そもそもこれは何の話か

どうも彼の語る意見を聞いていると、人間は感情的ではなく論理的に物事を考えるべきであるという事や

人間には最低限の人権があり、それは絶対に保障されるべきであるといった旨の発言が多く見受けられる。

突き詰めれば僕も全くの同意見だ。

じゃあ何故、僕の語る内容はそういったものが見られないのかというのが本稿の趣旨である。

 

解り易いように、今回も先に結論を述べておく。

 

「人間は二つに分けられるべきである。それは支配する側と支配される側の二つである。」

 

なんのこっちゃと思うだろう。

また奴の病が発症したかと手を上げる輩も居よう。

だが、ブラウザバックを押す前にまずよく考えて欲しい事がある。

 

君は物事を正しく理解、判断できる人間か?

 

その答えを出してから次の項を読んでいただきたい。

 

嘘つきの世界

最初に前提を述べておくが、あくまでもこれは僕の主観であり、日本国内に限った話になるだろう。

昨今の世の中はインターネットの発達、及びそれに付随するサービスが発展したことにより、

瞬く間に情報が入り乱れる社会となった。

 

それまでは新聞やテレビ、雑誌、ラジオなどという極わずかな情報源のなかで我々は暮らしていた。

言うならばある程度は情報の規制が効いていた時代である。

それ以外で情報を得るには口コミや噂話などを信じるしかなかったのだから。

そういった情報は信用できないというのが当たり前の世の中だった。

 

しかし、今の時代はどうだろう。

インターネット上に出回る情報は8割方が嘘といっても過言ではないほどに情報が入り乱れている。

人は皆、自分が情報の最先端に居る事を望んでいる。

それが周囲に対してのリードであり、自尊心を高める為の方法の一つであるからだ。

だがそういった嘘偽りの入り乱れる情報から真実を探るのは困難なことだ。

いやむしろ不可能といってもおかしくはない。

 

インターネットが急速に普及しはじめたのはつい10年かそこらの話である。

多くの人が情報社会に馴染めぬまま、その不慣れな目や耳や手でつかみとった情報が正しいとは思えない。

実際に偽ニュースや根拠の無い医療情報などが出回って問題になったこともある。

 

嘘の情報をつかまされた人間がソーシャルネットを介してまた別の人間に嘘を教え込む。

この情報社会はもはや嘘と言うミームに感染してしまっている。

極論に聞こえるかもしれないが、この世界で正しい情報を出せる手段は無くなってしまった。

 

そんな嘘が蔓延した世界で正しい判断ができる人間が、この社会で一体何割程度いるのだろうか?

僕はずっと疑問に思っていた。

 

正しい判断とは

正しい判断ができる人間とは、言い換えれば正しい人間的価値観をもった人間である。

 

例えば漠然と僕達は昔から「人を殺してはいけない」という事を誰から教わったかは覚えてなくとも

価値観としては深く深く刻まれているだろう。

恐らくこの価値観を持った人間の割合は99.9%だろう。0.01%の殺人鬼についても追々語るので忘れないように。

 

だが、「どうやったら人を殺す事になるのか」と考えられる人間は何%だろうか?

恐らくここで大きくふるいにかけられる。僕は現代の日本ならば97%程ではないかと思う。

 

 

この価値観、単純に見えて実は非常に奥が深いのは、君が97%の人間であるのなら分かるだろう。

当たり前のことで言えば、包丁で刺すとか車で轢くとか崖から突き落とすといった物理的が思いつくだろう。

だがそんなことは99.9%の人間でも理解している。

97%の人間が考えられるのは精神的部分。

すなわち、いじめや嫌がらせといった間接的な類によるものや、軽率な発言や他人を陥れるような陰湿な行為など

それはここに書ききれないほど多岐にわたるだろう。

 

僕が一番訴えたい部分はここだ。

「どうやったら人を間接的に殺す事になるのか」

この価値観を理解している人間は恐らく5割にも満たないはずだ。

 

そんな馬鹿なと思うかもしれない。

だが今の社会問題の中心はなんだ?

いじめ、自殺、パワハラ、セクハラ、虐待、ブラック企業…。

どれもこれも間接的に人を殺すモノばかりではないか。

 

恐らく今の時代の人間に大きく欠如している物は「他人の心を理解(しようと)する力」だ。

この力が嘘にまみれた社会によって大きく低下しているのは明らかだ。

 

人は嘘にすがりつき、嘘を嘘と見抜けぬままその嘘に踊らされ続け、

顔も名前も知らない誰かを傷つけ続ける。

また、その嘘によって傷ついた人間も助けを求め、

顔も名前も知らない人たちに自分の訴えを叫び続ける。

それがまた違う誰かを傷つける事になるかもしれないことを知らずに。

 

殺人鬼が殺人鬼である理由は何だろうか。

それは他人の痛みを知らないからだ。

刺されたり殴られたりしたときの痛みを知らない。

だから平気で人を殺せる。それと一体何が違うのか。

彼らは静かなる0.01%へとたどり着こうとしている。

 

嘘を見抜けない間抜けな人間が増えた事、そしてネットを介してばかりの交流で実際の人と会う機会の薄れた人間は

次第に他者の心を理解する力を失っていった。

情報化社会がもたらしたものは技術的な進化だけではなく、倫理的な退化もまたその一つである。

 

退化の末に見えた物

だが僕も全ての人間が退化したわけでは無い事は理解している。

そして周りの人間が退化したことで見えてきたものもある。

それは、この現象が実は極少数の人間から生まれた物だということだ。

 

先にも話したとおり、正しい人間的価値観を持った人間はまだ大勢いる。

ただし、そういった人間は社会で見てもネットで見ても「サイレントマジョリティー」である事が殆どだ。

それは彼らが何も言わないのではない、言うだけ無駄である事と同じ事を退化した人間も叫び続けているからだ。

そう、今まさに僕がここで言わんとしていることも、退化した人間の叫びとしか捉えられないであろう。

 

しかし、そうなってしまった原因は恐らく極わずかな集団であると僕は考えている。

サイレントマジョリティーの対義語はサイレントマイノリティーだけではない。

彼ら「ノイジーマイノリティー」(声高な少数派)こそが諸悪の根源である。

彼らはずっとこのネット社会が始まる前から存在していた。

それは偏向報道をするマスコミであったり、右翼・左翼団体、新興宗教等々

そういった形で見向きもされない存在であった。

 

だがそれは規制された情報社会であれば淘汰されるだけの存在であった。

情報の出所がハッキリしていることもあり、人は情報の取捨選択が可能だった。

しかし情報社会となった今、彼らは仮面を被り、嘘と言うミームを拡散し続けた。

もちろんそれは政治的、宗教的な情報という意味ではない。

少数派の倫理的に間違った価値観が広められたという意味である。

 

突然情報の海に投げ込まれた人たちは、文字通り藁をも掴む思いでそういった情報にしがみ付いた。

昔から情報の扱いに長けていた彼らの思想に、人々は簡単に同調してしまった。

日本人とは昔から他人の意見に流されやすいとはよく言うものだ。

 

「ノイジーマイノリティ」により汚染された人々は倫理的退化を果たした。

こうした異変に気づいた、正しき人間達は耳と口を閉ざした。

こうして高尚な人間は「サイレントマジョリティー」となり、

低俗な情報にばかり耳を傾ける人は倫理感を失い「私刑執行人」やそれを支持する「退化した人」へと姿を変えていった。

これが僕が考える今の社会である。

 

人の価値

結論としては僕はこの「私刑執行人」、そしてそれを支持する群衆はもはや淘汰されるべきと考えている。

今更法によってどうこう出来る存在ではなくなった彼らはもはや暴走状態にある。

僕はこの「私刑執行人」を支持しているのではなく、必要悪、または利用価値のある存在としてみている。

 

私刑の存在は確かに容認できるものではない。

それを認めるのであれば僕は「退化した人」といえるだろう。そうではないのだ。

僕は彼らも人間として扱うべきではあるが、高貴ではないという事だけはハッキリさせたい。

彼らは情報の扱い方を間違え、他者を殺すだけの殺人鬼と化した。

 

ではそういった人間に価値はあるのかと問いたい。

前回のコメントで犯罪者は獣と言ったが、ほぼそれに近い状態である彼らを平等に扱うべきか?

彼らにまだ、更正の余地はあるか?これだけの人数を相手に?

嘘か真か、人の心も解らない人間に?

 

結論に至る前にハッキリ言っておこう。

僕はもう大半の人間と言うものを見限っている。

もはや彼らは救いようがない。

彼らを救済しようという志は立派なものだが、それこそが退化した人間の考えであると僕は言いたい。

現実的にそんな事が不可能な事は誰よりも理解しているつもりだ。

理想論を掲げる事が罪だとは言わない。

だが現実は現実。その壁を越える方法を見出さなければ何も変えられはしない。

 

故に、僕はサイレントマジョリティーとなろうとした。

だが内なる衝動が、このKamonetを通して僕の思いを外へと導いたのだ。

だから僕は何度でも言おう。

 

人は救えない。

人は救えない。

人は救えない。

 

ソーシャルメディアで囀り続ける彼らを見るといい。

文字だけで人を判断は出来ないと言う愚かな人もいるだろう。

だが、その言葉は間違いなく、その人の内から出てきたものなのだ。

実際はそんな人じゃないなんて言えるならばそれは虚像を追っているに過ぎない。

例えネット上の姿が虚像であっても、その言葉や動作は間違いなくその人の内なる陰だ。

嘘にまみれた世界で唯一の真実は見え隠れする人の心だけなのだ。

 

救いの手を差し伸べる者

では、彼らを処分するというのか。

否。それは人類の文化的終焉を意味する事となる。

 

彼らを救う手段は、ただ一つ。

「サイレントマジョリティー」たちによる救済である。

だが、物言わぬ彼らが救いを差し伸べる事は無いだろう。

 

故に僕は支配層たる人間がこの世には必要と考えている。

支配層たる人間、つまり「サイレントマジョリティー」である彼らが上に立つ。

そして支配されるべき人間。

それは地に落ちた獣達、「退化した人」である。

 

「退化した人」は罪を犯し続ける。

だがそれに支配層は手を差し伸べない。

彼らの罪はあまりにも愚か故に、「サイレントマジョリティー」は口を出す事はない。

代わりに手を下すのは「私刑執行人」達である。

彼らは彼らの法であり、抑止力。

もはや償いきれない罪を重ねてきた彼らは屍の山を築く他に道は無い。

そうやって「退化した人達」は次第に淘汰されてゆくだろう。

 

これが僕の求める理想世界である。

もはや彼らに罪や罰といった概念は通用しない。

ならばもういっそ見限り、正しき人間の価値観をもった者だけが生きる世界を創るべきなのだ。

それこそが彼らにとっての最期の救済なのである。

 

これを感情論というのであればそう言うがいい。

だが、どんな意見も突き詰めればこういった結末しか待っていないのだ。

 

今の世の中が平和なのは良い事。

だがその一方、平和という隠れ蓑を被りひそかに人殺しを続ける殺人鬼が蔓延したこの世を、

果たしていつまで平和というベールが覆い続けられるのか。

それこそが現実問題というものだ。

 

人が人である今のうちしか猶予は無いと思え。

この数十年の人の歩みを見ても、

時間は残り少ない。

■この記事を書いた人

Kamo'ne
Kamo'ne
オープンワールド、アクションMO・MMO大好き人間。
ネトゲでは必ず魔法使い系でプレイする傾向にあり。

19 thoughts on “サイレントマジョリティー(マジメ版)

  • piggy
    2018年5月11日 at 00:39
    Permalink

    まず、かもさんの最初の問いかけである
    「君は物事を正しく理解、判断できる人間か?」これについての俺の答えは
    「そんな人間ではない」だ
    だからこそ俺は考え続けている、正しさとはなにかを
    一生答えが出ないかもしれないこの問題を考えながらこれからも生きていく
    自分の今の価値観が正しいとは思わない、正しさの追求とは自分の中の正しさを疑うことだ
    考えることを止めた時に人は正しさを失うのだと思う

    かもさんの意見は一言で言えば「傲慢な考え」だ
    この記事は自分が正しい人間的価値観を持っているという前提で作られてる
    かもさんが言うところの支配するべき人間側として考えている

    まずこれがそもそもの間違いだ
    大多数の人間がそう思ってるんだ、自分だけは正しい人間の価値観を持っていると思い込んでいる
    私刑執行人も退化した人も等しくその考えが根本にある
    自分の価値観こそが正義であると、そしてそれ以外の者達は悪であると
    「少なくともこいつよりは自分の方が正しい」と
    正しさとはこんな相対的で傲慢なものであるとは思わない
    ある者にとって正しくとも、それが別の者や社会全体から見て正しいとは限らない
    真に正しい人間的価値観を持った人間など果たして存在するのか

    この記事は正しい人間的価値観を持つ人が存在するという前提で機能した理論だ
    正しい人間的価値観を持つ人間をどうやって選別する
    選ぶ人間も正しい人間的価値観を持ってなければならない
    選ぶ人間はどう選出すればいい
    かもさんが選ぶのか?それは正しい価値観ではなくかもさんと同じ価値観に過ぎないのではないか
    かもさんの意見は感情論であると同時に、前提から実現不可能な理想論だ

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月11日 at 02:15
    Permalink

    ありがとう、ここまで期待通りのコメントをしてもらえるとは至極恐悦。
    ぴぎもそこまで書いていて気づいただろう、
    この記事を書いている僕は一体支配する側なのか支配される側なのか、どちらに属する人間なのか。
    僕は一言もどちらに所属したいとも書いていない。

    答えは支配される側の人間だ。

    そう、こういった意見を出す事自体がそもそも淘汰されるべき人間として囚われる。
    少しでも傲慢ちきな意見を出そうものなら袋叩きされるのが今の世の中だ。
    一体誰がこのような価値観を作り出したかは解らない。
    だが、今の世の中が平和だと思い込んでいる層こそが、僕のような異常者を排除すべく私刑に持ち込む。

    この意見を否定する事、それ即ち退化した人であり、
    この意見を肯定する事、それも即ち退化した人である。

    この記事には端から答えなど存在していない。

    僕が望む物、それは「退廃」に他ならない。
    この世の中は一度滅ぶべきなのだ。

    だがもし、もしもだ。
    僕が人を選ぶことを許されるのであれば、それは自信を持って選別できると断言できる。
    根拠は無いが絶対的自信はある。
    それを信じろというのが甚だ難しい話ではあるが、
    仮定として僕が真に正しい人の価値観を知っていたとしたら?
    それはきっと誰にも気づかれることはない。
    人間の正しい価値観など誰にも分からないのだ。

    だが長い歴史を見ても解るように、
    誰かが基準とならなければ、法も社会も作られず、
    我々は今も洞穴で暮らす獣と同類であっただろう。

    いつか、人は誰かの価値観を受け入れなければいけないのだ。
    間違ったノイジーマイノリティに耳を傾けず、
    正しきマイノリティの声が届いたそのときが腐れきった世の中の救済であると僕は考える。

    だからあえて言おう。
    傲慢で何が悪い。
    傲慢こそがその時代の価値観を担う者に必要なものであり、
    それがどんな意見であろうと民衆が受け入れるか受け入れないかが重要であり、
    その内容自体には何の意味も価値も無い。

    この意見を淘汰することは、ノイジーマイノリティーの排除であり、
    結局のところ僕の意見となんら変わらないという事だ。
    平和と言う嘘のミームを享受し続けるつもりであれば僕を排するがいい。

    Reply
  • piggy
    2018年5月11日 at 03:14
    Permalink

    いい感じにラスボス感出てきてていいぞ

    ただかもさんは一つ勘違いをしている
    相手を目の前にして行う意見の否定は、私刑や袋叩きではない、ただの議論だ
    そこから互いに何らかの制裁が伴う私刑に発展するか否か、それこそが重要なのだ
    意見の否定、それ自体が罪であるというのは飛躍しすぎた考えだ
    自分と違う者を排除したくなるのは人間の心理だ、だからこそ理性を持って対話する必要がある
    それを放棄し行動に移した時点で初めて罪となるのだ

    >傲慢こそがその時代の価値観を担う者に必要なものであり、
    >それがどんな意見であろうと民衆が受け入れるか受け入れないかが重要であり、
    >その内容自体には何の意味も価値も無い

    この意見は同意できる、俺も願わくば支配される側に回りたいと考えている人間なのだ
    そして支配する側は必ずしも正しい価値観を持っている必要はないと考えている
    それが正しくなくとも、俺が納得できればそれで良い
    しかし残念ながら、全てを支配されても良いと思える存在にこれまで出会ったことはない
    これは正直なところ不幸であると俺は考えている
    国や宗教など、自分の行動規範を自分以外の何かに完全に委ねられたらどんなに楽だろうか
    もしくは自分の価値観こそが全てであると思い込めたらどんなに楽だろうか

    答えのない答えを自問自答する日々が死ぬまで続くという事実は、時に俺を憂鬱にするのだ

    Reply
  • piggy
    2018年5月11日 at 08:38
    Permalink

    追記しよう

    かもさんが人間を選別できると自信を持って断言していることについても触れておく
    恐らく完璧に選別できるだろう、いやかもさんに限らずこんなことは誰にだってできるんだ

    自分にとって都合の悪い者を排除していけば、その人にとって理想の社会ができる
    だけどそれはきっと俺の理想の社会とは相違あるものだ
    そして誰が選別しようが俺がその線引きに納得することはないだろう

    かもさんが言うように仮に正しい人の価値観を持っている人がいたとしてもそれは誰にもわからない
    万人が納得するラインなど存在しないのだ
    ならば初めから線引きなどせず全員が平等であるべきだ
    というのが今の法であり俺の意見でもある
    そしてこれをかもさんは「腐れ切った世の中」と唱えている

    決してこの心情を理解できないわけではないのだ
    ただかもさんが自身が言っているようにこの思想の行きつく先は「退廃」に他ならない

    そしてかもさんが作り替えようとしている世界は正しい価値観で構築された世界などではなく
    かもさんの価値観によって作り上げられた、かもさんの理想の社会でしかないのだ
    そしていつの日か現れるのだろう
    かもさんの理想の社会を「腐れ切った世の中」と唱えるものが

    俺はこんな不毛なものに振り回されたくはない

    それでも絶対的自信があると言うのならば、まずはその選別基準から教えてもらおうではないか
    その基準が納得できるものであれば俺は掌を返そう
    そしてかもさんの意思とは関係なく支配する側の人間として推挙しよう
    さぁ俺に叫ばせてみるがよい「かもね国万歳!」と

    Reply
  • 2018年5月12日 at 15:13
    Permalink

    ほんとに、良い感じにラスボス感出すよねー。
    そして、ぴぎとの応酬は見てて面白いね。

    事情はあれど、意図的に殺人等の重大犯罪を成したものに人としてまともな精神が宿っているとは、私は到底思えない。
    従って、正当防衛を除いて、他人の身体や精神を殺す精神状態になりうる存在である時点で、ヒトであったとしても、人間であると認めることは出来ず、かもさんの言うとおり、”人間用”の法律や倫理観、人権と言ったもので守られるべきでないと思う。
    だって、人間じゃないから。

    文化的、倫理的、道徳的な考えを持つことができて初めて、ヒトは人間と呼べると思う。

    そして、それに対して私刑を実行するものも同様であり、人に裁きを与えられるのは我らが主のみであり、それ以外のなんぴとたりとも、人が人に裁きを下すことは赦されないのです。
    主が創り給うた、人間のあるべき姿とは、他者を慈しみ、他者を赦す心を持つことです。

    罪有るものに、石を投げることが出来るのは、罪なき神の子のみ。
    貴方がこれまで1つとして罪を犯したことがないというのなら、石を投げなさい。

    Reply
  • piggy
    2018年5月12日 at 18:50
    Permalink

    楽しいんだけどもっとやりやすいフォーマットないものかねこれ
    議題が議題だけに責めてるように聞こえるかもしれないけど
    そんなつもりじゃないのは先に断っておくよ!

    俺にはどうしても上の意見と下の意見とで自己矛盾に陥ってるように見えてしまう
    でも重罪人を完全に人間として扱っていない条件下では成立してしまうことに俺は恐怖すら覚えるよ

    自分は人を殺したことがないからと、人殺しに石を投げる行為
    文化的で倫理的、道徳的な考えを持っていない人を人間扱いしない行為
    この行為は果たして文化的で倫理的で道徳的と言えるのだろうか
    俺にはそう思えない
    むしろそういったものとは対極にある極めて本能的な行為だと俺は思う

    本能的な行為が悪いことだとは思わない
    ただ、それが正義であるとは思わないし、少なくとも俺が考える正義とは違う
    どんな過ちを犯したとしてもヒトではなく一人の人間として扱う
    誰にも石は投げたくない、他人が石を投げてるなら俺の手の届く範囲でそれを止めたい

    これ軽犯罪から重犯罪まで一緒くたに議論してるから余計に難しいな
    凶悪犯罪の話になってくると死刑制度とかまで言及することになるからどうしたもんかなって感じ

    Reply
  • 2018年5月12日 at 20:13
    Permalink

    いや、ぴぎの言うとおり、前半は自分の意見で、重罪犯罪者に人権なし!だと思ってるし、死刑も全然おっけー!むしろ、同じ目に遭ってシネ!って思ってる。
    後半は、完全に某宗教をパクって来ただけです笑

    出来ることならそういう人間になりたいけど、いざ自分が被害者当事者になったとき、そう言えるかっていったら、絶対無理だなぁと思う。

    Reply
  • piggy
    2018年5月12日 at 20:55
    Permalink

    その気持ちは凄く自然だと思うよ
    俺だってもし凶悪犯罪に巻き込まれて自分が被害者、もしくはその家族になったとしたらまったく同じ意見は言えないと思ってるし
    被害者に限っては感情に物を任せて発言したっていいと思う

    ただし被害者感情とか遺族感情を刑に反映するべきかって言われるとまた話は違うから難しいね
    それが反映されてしまうと天涯孤独の人が被害者だった場合とか、被害者が親から虐待を受けている小さい子供の場合なんかの加害者への罰が相対的に軽くなってしまうみたいな話になってくるし
    本意ではないけど、刑罰を考える上では被害者や遺族感情は出来るだけ無視しなきゃいけない

    被害者の立場になって考えろってよく言われてるけど
    実際は第三者だからこそフラットに考えられるんだと思ってる

    Reply
  • 2018年5月12日 at 21:17
    Permalink

    難しいよね……被害者の気持ちには共感できる部分はあるけど、快楽殺人的なのとか、無差別殺人みたいなのは理解できないもんなぁ。
    いじめられた経験とか、ムカつくやつとかのこと考えると、復讐殺人とか、そういうのは理解できなくもないんだけどね。

    第三者はフラットに考えられるけど、やっぱり当事者にしかわからない事情や生い立ちがあると思うと、ほんとに難しい問題だよね。
    親から愛情をたっぷり受けられたかどうか、友人に恵まれたかどうかって、その有無で考え方も人生も全然変わるだろうから、絶対その気持ちになることは出来ないもんね。

    刑罰って難しいね。
    本来なら神様にしか下せないものなんだろうなぁ。
    人一人の命を奪って、人一人の心を殺して、なぜ生きていけると言う選択肢があるんだろうって言う気持ちもあるし、でも、死にたい犯罪者に対する死刑は、なんの償いにもならないし。
    同じ罪でも課される刑罰は一人として同じにならないのが、本当の裁きなんだろうね。

    それはそうと、えみたんがMoEやりたそうだから、私もいんすこしてくる!
    ほとんどログインできないけどな笑

    Reply
  • 2018年5月14日 at 13:31
    Permalink

    ごめん、ここで書くことじゃないんだけど、11年ぶりくらいにMoEしたんだけど、ほんとに私、移動とかwasdでやってたのかな?
    最近はCSばっかだから、超やりづらいんだけど笑

    でも、ネトゲばっかやってた時期はそれが普通だったはず…だよねぇ……
    スキル使いながら移動とか、指つりそうなるw

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月15日 at 18:51
    Permalink

    完全にコメントするタイミング見失ったラスボスです。
    というかどんな返信しようか考えてたけど、ぶっちゃけ言いたい事は全て言い切ったので
    それで一人でスッキリ!してました。

    一つだけ言っておくなら、法という存在がある限り人に平等はありえない。
    法という枷があるからこそ人は自由を求めるあまり他者を陥れる可能性がある。
    僕の考える世界が僕の理想郷である事は当然だ。
    それを作る事こそが僕が考える究極の救済なのだからそれ以外に頭は回らん。
    愚者は勝手に死ねばいい、人間としての自覚がある人間だけが生き残るべき。
    そうならないならそれが人間の行き着く先だ。それが遅いか早いかの違いだけ。

    かもね王国では30歳以上の未婚の男性には一人につき一人、女子高生が支給されます。
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    ところで、あやなっちはえみたんと連絡取ってるのかい?
    なんかしらの手段で伝えてあげたら喜ぶと思うぞ。ココは多分みてないだろうし。
    そしてWASDが出来ないならコントローラーぶっさしてJoyToKeyでがんばりましょう。
    たぶんそっちのがむずいけど。

    Reply
  • 2018年5月15日 at 23:55
    Permalink

    自殺することによって、支給女子高生のリセマラは可能ですか?
    リセマラの度に30年って、地獄か…?

    なんか、素晴らしい技術で、意図的に罪を犯した人間が確実に判定できて、そいつら全員極刑にならないかな。
    でも、これが行きすぎると、多分私みたいな考え方の人間もシステムに犯罪者判定されて、ドミネーターで溶かされるんだろなー。

    んとねー、連絡手段がえみたんのblogしかないんだけどさ、えみたん長いこと見てないぽいんだよねぇ。
    そして、ボッチは早速飽きたから久しぶりにWizオンラインやろうと思ったら、かなり前にサービス終了しててショックー。
    ならばと思ったらブレクロも終わってるー!

    私も年取るわけだわー。

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月16日 at 02:27
    Permalink

    なんとも不便な連絡手段だな…。
    えみたんにはDMして伝えておいたぞ。
    じき、何かしらお返事は来るでしょう。

    そう、僕が考えたのはまさにPSYCHO-PASSの世界だなーって書きながら思っていた。
    核心的なところで言ったらまさにそういう世界。
    痛みも無く殺されるなら喜んでデコンポーザーしてもらいたい。

    Reply
  • 2018年5月16日 at 10:31
    Permalink

    かもさんまじ天使!
    えみたんからさっそく応答あったよ!

    痛みなくても、殺されるのはやだなー。
    でも、なんかこう、真犯人がどうとかそう言うのじゃなくて、ぱっと、確実に、悪いやつが炙り出せる世の中になれば、私みたいな比較的良心的な小市民は過ごしやすくなると思うなぁ。

    Reply
  • piggy
    2018年5月16日 at 13:05
    Permalink

    俺はさ犯罪者と普通の人って紙一重だと思ってんだよね
    たまたま環境に恵まれていたり大きな人間関係の歪がなかっただけで
    ほんの少しの環境の差で誰しもが加害者側になりえてしまうと思ってる

    街頭インタビューとか見てるとさ
    犯罪者に対して「そんなことをする人には見えなかった」とか言ってたりするじゃん
    あれ俺意味わかんないのよ、そんな事思う?これある意味平和ボケした危ない考えだと思うんだよ

    俺は誰に対してもそんなこと思ったことない
    かもさんが性犯罪者になろうが、凶悪犯罪者になろうが
    そんなことする人には見えなかったなんて思わないし
    たとえそれが自分の家族やリアルの友達であっても思わないんだよね
    何があっても罪を犯さないような聖人なんていないと思ってるからそれに対する落胆もない
    本質的に人を信じることができない冷たい人間なのかもしれない

    しいて言えば罪を犯さざるを得なかった何らかの事情があったんだろうなって思うだけ
    それは人間関係の縺れかもしれないし、仕事のストレスで精神的にまいったのかもしれない
    満足な教育を受けられなかったのかもしれないし、貧困でどうにもならなかったのかもしれない
    どんな事情があろうと正当化されるものじゃないけど、俺は加害者にも一定の同情はする
    まぁ一切の同情の余地がないそれこそサイコパスみたいな人もいるんだけどさ

    皆きっと人とはこうあるべきって気持ちが強いんだろうなって思う
    人間は理性を持った強い生き物だ、だから道を外れた弱い人間は切り捨てるべきみたいな
    その考えが間違っているとは思わないよ
    でもこれってやっぱりその人がどこかで恵まれてるからこそ言える意見だと思うんだよ

    俺はそもそも人間なんてそんな強いもんじゃないと思ってて
    誰もが道を踏み外してしまう可能性があるってのが前提としてあるから
    その前提で作る世界の方が現実的に無理なく成立すると思う
    道を踏み外したなら道に戻してあげればいいし、歩きやすいようにもっと道を整備する方に注力すればいい
    これは犯罪以外にも言えるかな、ほんの少し道を外れただけでやり直しが効かない社会は息苦しいよ

    だからこそ道を踏み外さないように生きるんだって意見もわからなくはないんだけどね
    その考えが行き過ぎて自分達の生きるハードルをどんどん上げてってるのが現状かなって思う
    何事もバランスって大事よ、極論で考える必要はないと思う

    Reply
  • 2018年5月16日 at 17:23
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    ぴぎはハト派、かもさんはタカ派って感じね。

    道を踏み外すことそのものより、道の踏み外し方だと思う。
    自ら進んで道から奈落に飛び降りたのか、つまずいて落ちてしまったのか、そこで道が途切れてしまっていたのか。だと思う。
    踏み外す前に、っていう理屈はすごくいいと思う。
    それは目指すべき社会だと思う。
    本来、生活保護とかはそういう制度なんだけど、そういうところにもウジはわくんだよね。
    本当に、人間ってやになるよね。
    もちろん、私も道を踏みはずす可能性はあるよ。
    人間は生来、悪に偏りやすいと思ってるし。

    被害者が納得できるかって言う部分も大事だけど、その犯罪者を身近に置かなければいけない私たちが、それを許容できるか、だと思うんだよ。
    例えば、生活に困って困って、どうしようもなくなって、万引きしました、ごめんなさいって人と、金払うのばからしいしちょっとパクっただけじゃん、警察に言うとか頭おかしいんじゃないの!?って言う人と、同じ罪か?どっちなら許せるか?ってところかなぁ。
    自分に関わりがなければ、好きにすれば?って思うような軽い犯罪だけど、もし明日から隣に住みますってなったら、安心して過ごせるかな?
    主観的な話だけど、こいつアタマおかしい、って思うようなヤツは絶対近くにいてほしくないよ。
    子供を持つ身になって、なおさらそう思う。
    利己的な考え方だと思うけど、それこそ、受け容れる側も聖人君子じゃない以上、拒絶に走るのは仕方ないと思う。
    そういう意味で、極刑っていうのは、その頭のおかしいやつと、今後出会う可能性をゼロにすると言う意味においては、最良だと思う。
    刑務所出てきても再犯がある以上、そうしてくれたほうが安心って思うな。
    色々問題点があるのはわかってるけど、自分の安心のためっていう、身勝手な理由においてね。

    ところで、ぴぎはいつからそんな丸くなっちまったの?
    前はもっと、狂犬かな?って言うくらい噛みついてたじゃない。

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月16日 at 19:16
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    カモなのにタカ派とはこれいかに。

    応えにはなってないけど、
    どちらが性善説でどちらが性悪説なのかって
    僕とぴぎの意見をあてはめられるか考えてみると面白い。
    どちらもどちらにも当てはまるから、これはもはや新たなる倫理の境地なのではとも思える。

    例えば僕の意見で言えば、人は根源的に悪であるとしているからこそ、
    人は上と下を見比べて上へ行きたがる。コレを奨励するのであれば性悪説である。
    でも、元々の倫理感をもっていることによって、
    抑圧された感情が私刑を生むのであればそれは性善説だ。

    ぴぎの場合、人は元々だれしも犯罪者になる可能性があるのであれば性悪。
    だがそれを許す心が人々の中で育めば国家は平安になる。これは性善。

    大きな矛盾の中で廻り続けるこの議論にはたして答えはあるのか不安になる。
    対極による事も大事だが自分の意見もしっかり持たないと議論しづらいテーマであるな。

    Reply
  • piggy
    2018年5月16日 at 19:39
    Permalink

    うるせぇ俺は本来元々こういう気質なんだよw
    でもこれ丸いとかそういうんじゃないんだよ
    恐らく皆から見て俺は「犯罪者を救いたい」みたいな正義感を振りかざしてるように見えるんだろうけど
    本質的には全然そんなんじゃない

    例えばどっかの国で戦争やってるとするじゃん、恐らくどっちかが悪いことしたのが始まりなのよ
    お互いの言い分こそあれ、先に手出した方が基本的には悪いと思う
    でも第三者からすると、それが戦争になってる時点でどっちが悪いとかはもはやどうでもいいわけよ
    それが争いごとに発展した時点でどっちもどっちって感じなんだよね
    俺が言ってるのはそんな感じ

    まずは争うことをやめないと話が進まないじゃん的な
    報復は何も解決しないどころか火に油注ぐだけだからとりあえずどっちも拳下ろせよみたいな
    犯罪者は当然悪いけど、私刑も悪い、俺からすればどっちも治安乱してるって意味では一緒
    平和な世界を目指そうよ!みたいな大それた話じゃなくて、無益だからやめろよってだけ

    更生の見込みがないんであれば死刑や終身刑にすることを考えればいいし
    何が何でも納得できない人は拷問刑なりを訴えればいい

    まぁ俺死刑反対なんだけどね、これはそろそろ別記事で書くよ

    Reply
  • 2018年5月16日 at 20:50
    Permalink

    そうだっけなぁ?
    やっぱり、ぴぎさんもかもさんもオトナになったのかなぁー?
    そりゃ、10年以上前の記憶だし、当然っちゃ当然かぁ。

    でも、デミちゃんは私の中では永遠のアイドルだからねw
    口汚い野郎になってるなんて、信じないぞ。

    ぴぎの新しい記事に期待してるね!
    でも、まじめな話より、ド下ネタの方が好きかな!ww

    Reply

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