罪と罰

罪を犯したならば罰を受ける必要があると思う
罪を償ったならばそれ以上の罰を与える必要はないと思う

罪を償ったとしても赦せない人もいると思う
それならば人に先んじて、まず責めるべきは罰の内容だと思う
しかし中には償いきれない罪もあると思う

示談は一つの罪の償い方だと思う
赦せないとすれば、まず責めるべきは示談という仕組みそのものだと思う

生まれ変わったら長瀬になりたいと思う

■この記事を書いた人

piggy
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11 thoughts on “罪と罰

  • 2018年5月6日 at 02:40
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    その罪が誰かを不利益あるいは不幸にしているのであれば、赦すか赦さないかはその誰かに委ねられるのではないかと思う
    法という尺度がある中で生きている以上、法に問われるか否かはまた別の論点になるなるのではないだろうか
    何が言いたいかというと、赦す赦さないを決めるのは当人同士であって周囲がとやかく言うのはいかがなものかと

    示談交渉が成立しているのであれば、周りが色々文句を言うことではないんじゃないかと思うのです
    まあ、職柄的に会社やグループのイメージであったり信用であったりの問題は出てくるけれども

    Reply
  • piggy
    2018年5月6日 at 03:11
    Permalink

    被害者が赦すかどうかはその通りだと思う
    どんな罰を与えようが犯した罪が消えるわけではないし、心の傷も癒えるものではない
    赦すのも自由、赦さないのも自由、この記事は赦せないという心情を責めるものではないんだ
    それにたとえ赦さないとしても心が狭いなどとは微塵も思わない

    第三者の立場の者であっても赦す、赦さないは各自の裁量に委ねられると思う
    しかしこの立場の者は赦さないという意見は出来る限り心の内に秘めておくべきものだと思う
    連日報道し、更にそれを周囲が騒ぎたて、我こそが正義と言わんばかりに社会的立場をとことんまで失墜させる行為はそれ自体が大きな罰であり、私刑である
    ましてや今回のケースは示談が成立し、不起訴になっているため前科も付かない
    被害者家族は
    「この過ちで1人の人間の未来が全て奪われることは望んでいません」
    「娘の心の傷を考えながらこれから生き、娘の心の傷についてもそうっとしておいてほしい」
    と声明を発表している
    にも関わらず被害者の立場になって考えろという剣は連日連夜あらゆるメディアで振りかざされ続ける
    「私が被害者だったらどう思うか」を、さも「被害者の立場になって考えた」ように話す姿には反吐が出る
    その剣は本当に正義の剣なのか
    俺には被害者目線を盾にした、その実、被害者の心情をまるで無視した偽善の剣にしか見えない

    示談が成立した=被害者が赦した のだから周囲は騒ぐべきではないだろう
    第三者が赦せないのは自由だしそれは否定しない
    だが少なくとも被害者目線などという大義名分は掲げるべきではない、むしろ被害者の心情からは遠いところにいることを理解するべきだと思う

    きんぱちが言うようにタレントという半ば公的な立場であるが故の信用うんぬんは確かに一理ある
    しかしやはり極悪非道の犯罪者のように扱うマスコミとそれに同調する人達に違和感を覚える
    そのように扱うのであれば、一体「示談」というものになんの意味があるのか
    いっそのことそんなものはなくしてしまえば良いのではないか
    金銭的に余裕のある者ほど有利に働く、悪く言ってしまえば金銭で解決できる罰、それが示談なのだ
    これは裁ききれない犯罪の数に対する裁判所の怠慢に他ならないのではないか

    もし示談で済んだ者を犯罪者と同様の扱いをする人が多数を占めている時代になっているとすれば
    今一度示談という仕組みから見直す必要があるのではないだろうか

    改めて言っておくけど俺は加害者を擁護してるわけじゃないし、赦せない人の気持ちもわかる
    ただ今回の事件に関しては示談が成立、被害者はそっとして欲しいと言っている、これが全てだと思ってる
    被害者には示談に応じない選択肢も存在したがそれは選ばなかった
    第三者がそれ以上踏み込むならば示談の必要性について議論すべきであるという立場

    たぶん本文じゃ主張が伝わらないからこっちが本文でいいよ

    Reply
  • 2018年5月7日 at 12:31
    Permalink

    結局、対岸の火事をもっと面白くするために、なんで火事になったの?火事の対策はしてなかったの?誰が火出したの?寝タバコ?やべー笑 私なら自殺してるわー!笑 ってやってるんでしょ。

    こいつらがやってるのは、ねぇ、今どんな気持ち?wwwと、同じなんだよね。
    セカンドレイプやって、被害者加害者を一層惨めにして、高みから見下して、自分達は大丈夫ってやってるだけ。

    マスコミって、ほんとに人間の醜い部分の集大成だと思うよ。

    ぴぎの言うとおり、被害者がこれ以上はいいって言ってる以上、ここに触れるべきではないと思う。
    加害者がどうなろうが知ったこっちゃないけど、マスコミの出す片寄りまくった情報で加害者被害者を論じる時点で、まともな結論が出るはずもないしね。

    被害者とされてる女子高生は、なにを目的にその場にいたのか、その場までついていったのか、加害者とされてるジャニーズは何を目的にその場を設けたのか、その場をもうけるに至ったのか。
    年齢の問題は確かにあるけど、一般的に言えば、口説き落としに失敗しただけなんだよね。
    加害者は落とせると勘違いしたんだろうけど、そもそも、被害者の目的はそこになかったというだけのこと。
    一昔前なら、ついていった女が悪いって言われたような案件だわ。

    同じ女としては、どっちもバカとしか。
    女ははめはずしすぎだし、男はチンコでもの考えすぎ。

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月7日 at 18:52
    Permalink

    僕は割りと対岸の火事に油を注ぐ行為に対しては肯定的だな。
    それを推奨しているわけではないが、
    こういう事をすればこれだけ火が勢いを増すというのが分かりやすくて良い。
    マスゴミは嫌いだけど僕は彼らを抑止力として見ている。
    詰まるところ彼らの仕事を無くす為には、彼らの仕事に成るような事をしなければ良いだけの話。

    ただ、マスコミが触れるべきではないのは被害者であって、
    加害者に対してはスポットライトもフラッシュもバシバシ当ててやるべき。
    本件において本気で加害者を殺したいくらい妬んでいる人も存在するだろう。
    そういう人たちのガス抜きをしない限りは、きっと次の悲劇が起こってしまう事も考えられる。

    こうした「私刑」は腐敗しきった今の世においては非常に解り易い正義だ。
    法で裁けない罪は大衆の民意に応じて裁かれるべきである。
    正義と悪の区別がついたほうが事件と言うのは丸く収まりやすいのだ。

    ただしそれが操作された民意でなく、そして人道に基づいた民意である事を願うばかりだ。
    結局のところ、こういった事件で騒ぐ連中は、
    社会的にも人間的にも底辺の集まりであると僕は思っている。
    そうした今まで見下してきた連中に裁かれ、二度と光を浴びる事ができない程に追いやられる。

    法による制裁の恐怖より、私刑への恐怖によって犯罪行為は抑止されるべきだと僕は思う。
    それがモラルと言うものでもある。

    Reply
  • piggy
    2018年5月7日 at 21:46
    Permalink

    >あやなっち

    「マスコミの出す片寄りまくった情報で加害者被害者を論じる時点で、まともな結論が出るはずもないしね。」
    本当これだと思うわ。結局第三者は全てを知り得ないんだから判断できないんだよ
    それなのに与えられた情報だけで白黒付けないと気が済まない
    大衆心理としてそうなることをわかっていながら視聴率のために連日連夜報道し続けるマスコミにはうんざりだし
    それに踊らされて正義感振りかざしてる奴にもうんざり

    男はチンコでもの考えすぎって意見に関しては俺も耳が痛いです
    こっちにも実はちっちゃい脳付いてんじゃないかなって思ってます

    >かもさん

    否定的に入りたいところだけどその意見にも一理ある
    罰に対しての考え方としてかもさんが言う抑止力的側面は確かにあると思う
    「法で裁けない罪は大衆の民意に応じて裁かれるべきである。」
    これは俺が言う示談の問題的に対する一つの答えだと思う

    でも加害者は悪いことをしたんだから法の裁き以外に何をされても仕方ない
    それが嫌なら最初から罪を犯さなければ良かった
    こういう考えは要するに司法の否定でしょ
    だったらもっと人ではなく法の裁きの方に声を上げるべきだよ
    私刑を正当化するくらいなら「あらゆる罪は極刑にすべき」こんな暴論の方がまだ本質を突いてると思う

    俺は被害者を守ることは当然として、だからといって加害者に人権がないとは思わない
    罰は応報であり、同時に抑止力でもある
    その一方で加害者の更生を目的とした教育でもある
    私刑論者はこれを完全に無視してると思う、やってることは教育ではなくモラルの欠片もないただのイジメ

    Reply
    • Kamo'ne
      2018年5月8日 at 01:45
      Permalink

      ならば僕は真っ向から司法を否定しても良い構えだ。
      抑止力たる私刑を物怖じせず罪を犯すというのであればそれはもはや人道から外れている。
      言わば外道だ。

      外道に対して人権もくそも無い。「人」の罪を裁く法に則っても仕方無いのだ。
      人を襲い、命を奪うような獣に法が適用されるか?
      答えは否。猟銃で撃たれるか捕獲されて見世物にされるだけだ。
      これが果たしていじめだろうか?

      だが、罪にも重さはある。
      これまで生きてきた中で罪を犯していない等とは自分も言えない。
      だがそういった罪にここまでの罰が与えられなかった理由は何か。
      それは罪が法の場に晒されなかった事によるものだ。
      正当な手続きを踏んで、ようやく訴訟が認められ正当な裁判を受ける。
      これがどれほど面倒で厄介な事なのかは、国民全員が理解しているはずだ。

      法が人の作る物ならそれを壊すのもまた人である。
      それが神によって裁かれるなどと言っていた昔の人のほうがよっぽど倫理感があったと思う。

      Reply
  • piggy
    2018年5月8日 at 06:56
    Permalink

    必要があれば法は壊すべきだ、しかしそれは時代に合わせた新たな規則として再構築するべきだ
    私刑などという形のない民意に置き換わるなんてもっての外
    むしろ私刑が全てを決定していた無法地帯を治めるために法は作られたのだ

    かもさんも言っているだろう
    「こういった事件で騒ぐ連中は、社会的にも人間的にも底辺の集まりであると僕は思っている」
    俺も概ね同意だ。
    こんな連中が正義は我にありとばかりに声を上げ各々の感情だけで人を裁く社会
    こんなものは秩序のない無法地帯そのものではないか、あまりにも前時代的だ
    私刑を抑止力などと正当化するべきではない
    私刑は私刑であって、それ以上でもそれ以下でもない、法治国家においては害悪でしかないのだ

    人は間違いを犯すものだ、しかし一度の間違いでその人の全てを奪い再起不能まで追い込む必要はないと思う
    間違ったならまたやり直せばいいだろう
    それを許すのもまた人道ではないか

    ただし世の中にはかもさんが言うような法の裁きすら手ぬるいと思う外道も存在するのは事実だ
    これに関してはあまりにも話がそれてしまうからまた別の記事かな

    今回の加害者を俺は外道だとは思わない、ある意味獣ではあるが人なんだ
    猟銃で撃つ必要はないし、捕獲して見世物にする必要もない、充分に更生の余地はあると俺は思ってる
    少なくともその機会すら奪う権利は俺達にはないだろう
    しかし外道だと思う人も中にはいるだろう
    そういう人には私刑などというただの憂さ晴らしではなく、ぜひ法整備を訴えて欲しい

    Reply
    • Kamo'ne
      2018年5月9日 at 02:02
      Permalink

      僕も私刑を正当化するつもりはないのでそこは同意だ。
      そして無論、無法地帯を作るつもりはない。ただしそれは限られた範囲でだ。

      間違ったらやり直せるという考えがあるからこそ罪は無くならないのだ。
      一度でも過ちを犯せば一生罪人。それは背負わなくてはいけない十字架。
      宗教や考え方によってはこの世に生まれたその時から罪人扱いされる事だってある。
      何故罪は償わなければならないのか?
      それは許しを得たいからに他ならない。

      そもそもこの許しを請うという行為そのものが加害者主体なのが問題なのだ。
      法は被害者も加害者も平等に扱うと言っておきながら、結局得をするのは加害者なのだ。
      被害者は一生被害者なのに加害者は許される。
      これ自体が法と言うもののおかしな点である。

      故に民意による私刑は必要だ。だがそれは到底看過されるべきものではない。
      しかし放っておいても必ずそれは起こり得る事だ。

      そこで僕は、現代の腐れきった法の整備よりも「貴族制度」の導入を薦めたい。

      高貴たる身分の者が代表して政治や司法を執り行い、
      ワイドショーやゴシップに騒ぐような底辺民族は彼らに飼われる存在となる。
      これにより法で裁く必要のない民事は私刑によって裁かれ、
      真剣に取り扱われるべき刑事は法によって裁かれるという図式ができあがるのではないだろうか。

      もちろんこの制度にも問題はあることは分かっている。
      間違いなく貴族社会は腐敗するであろうし、平民からは不満の声が上がるだけだ。
      しかしながら貴族は貴族らしくあるべき、つまりはノブレス・オブリージュの精神が日本人に宿れば
      腐敗、あるいは犯罪に手を染めた貴族は平民へ格下げされ、末代まで虐げられる事となり、
      それは貴族への大いなる抑止力となるだろう。

      平民は平民で、国を変えたいと思うのであれば財を築く為に努力するだろうし、
      貴族たる精神を身につけようとすれば、自然と私刑が蔓延する低俗な社会からは離れてゆくだろう。

      前時代的と言う言葉で反論を述べられたが、
      僕は行き過ぎた今の時代だからこそ前時代に戻るべきなのだとも考えたい。
      前に進む事よりも後ろを振り返る事もひとつの問題の解決策であるはずだ。

      Reply
  • piggy
    2018年5月9日 at 07:43
    Permalink

    ほう、なるほど
    人によっては門前払いされてもおかしくないような対案だが俺は嫌いじゃない

    俺は現在の法が全て正しいと思っているわけではない、必要があれば作り変えるべきという立場だ
    ただ、結局加害者が得をしてしまうから法はおかしい、などという論調はあまりに短絡的だと思う
    加害者に人権は必要ないという意見は基本的に報復感情からくるものだ
    報復感情は非常に強固なものだ、その感情は加害者のみならず家族や属する集団にも及ぶ
    放っておけば加害者を取り巻く人々が虐げられ、虐げられたものによる第二第三の犯罪の連鎖を生む
    これを国家として許容するわけにはいかない、かつて仇討が禁止されたように
    よってどんなに被害者に同情しようとも、加害者を許せなくとも過度な報復感情は悪として認識する必要がある
    それが国を、ひいては連鎖する犯罪から自分自身をも守ることに繋がるのだ
    『加害者を守ることそれ自体が目的なのではなく、社会を守るために加害者の人権は守られる必要がある』のだ
    現代社会における法とは目には目を歯には歯をという単純な話ではない
    これを理解できない者は自分がいかに国に守られている存在であるかを自覚していない者だと思っている

    俺が私刑を断固として認めない理由もこの考えあってのものだ

    物事を判断する際はできるだけ感情を排除し多角的に考えなければならない
    被害者の立場はもちろん、加害者の立場、第三者の立場、社会的見地、それぞれの視点で考える力が求められる
    そして今の国民の大半にこの力は備わっていないと俺は思う

    民主主義というものは国民全員の高い倫理観があってこそ正しく機能するものだ
    本来、人が人を裁くということ自体おこがましいことで、裁きを下す際は慎重に慎重を期すべきだと思っている
    にも関わらず裁きは当然であるという大衆の心理に俺は恐怖すら覚える

    そこでかもさんの案である「貴族制度」だ
    これはつまるところ民主主義の否定であると俺は思う

    貴族というとついそれに対する奴隷といったイメージがあるため
    それだけで否定的に捉えてしまう者も多いだろう
    しかし、選ばれた者が代表して政治や司法を執り行うというのは、大衆の愚かな意見を無視できるという一点において素晴らしい制度だ
    上に立つ者が正しい倫理観を持ってさえいれば理想的な社会だと思う
    そしてそれこそが最も実現困難であるのだが

    しかし法で裁く必要のない民事は私刑によって裁かれるというのは俺にはやはり許容できない
    なぜならば民意というものは例外なく感情的で短絡的で愚かなものだからだ
    あらゆる罪は貴族によって正しく裁かれるのであれば俺は両手を上げて支持しよう

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月9日 at 18:43
    Permalink

    どうやらこれ以上語るためには、一本記事を書き上げる必要がありそうだ。
    君はまだ情けとか人は変われるとか理想論にすがりついているようだが
    僕はとっくに民意の変革への希望を捨てている。
    何故そうなるかという理由を一度理解してもらうほかないようだ。

    Reply
  • piggy
    2018年5月10日 at 01:52
    Permalink

    今回に関しては理想を説いているのではなく現行の法はこうなっていると説明しているだけ
    俺が理想論にすがっているのではなく、かもさんが感情論に囚われているんだ

    民意の変革は正直どうでもいいんだよ、不可能なんだったらそれはそれで仕方ない
    どっちにしろ成熟した社会において集団及び個人が私的に何らかの制裁を加えるのはいかなる理由があっても正当化されない、たとえ相手が犯罪者であっても
    もし、これが現実に即していないという理由で新たに私刑を認めるのであればそれによる社会的影響を議論する必要がある
    そのためにまず現状なぜ加害者にも人権を与えているかを理解しないといけない、私刑は加害者の人権侵害に等しいからね
    肝心のこの部分が「そもそも犯罪者に人権なんてない」みたいな感情論で凝り固まっていると議論はいつまでも収束しない
    憲法の基本原則である基本的人権の尊重にメスを入れるのはそんなに簡単な話じゃない
    これまでの長い歴史の中で犯罪者にすら平等に人権を与えてきたからこそ平和な今がある
    俺が主張してるのは理想論どころか極めて現実的な話だよ

    ってわけで新記事期待してます!

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