ソシャゲ・スマホゲーが流行ってはいけない理由

もーいいかげん何べんも言ってるので聞き飽きたかもしれないが、

僕はソシャゲ、ブラウザゲー、スマホゲーが嫌いだ。大嫌いだ。

嫌い嫌いと言っておきながら少しは手を出す事があるが結局長続きはしないのがほとんどである。

 

しかし僕もただゲーム性がなんだ、やれ課金がなんだといってただただ嫌っているわけではないのだ。

もう最近のこの業界界隈を見ていると反吐が出る有様なので、

少し自分の意見を整理するつもりで書いていこうと思う。

まず、僕の意見を知ってもらう為に結論から述べさせてもらう。

 

表題の通り「これ以上ソシャゲ・スマホゲーは流行ってはいけない」と言うことだ。

理由は以下の3つである。

 

1、商品に対して顧客が対価を支払って買うという基本的な事が成り立っていない

2、稚拙な内容の商品を量産し続けている現状が業界にとって好ましくない

3、ゲームと言うもののあり方が歪み始めている

 

ここからはこの3つの理由に対しての説明をする。

 

1、商品に対して顧客が対価を支払って買うという基本的な事が成り立っていない

まず最初に、少なからずゲームというものは商品であり、

それ自体に価値と言う物が存在しているという定義で書かせてもらう。

 

それに対してソーシャルゲーム、

またはスマートフォン向けゲーム(これ以降纏めてソシャゲと記す)と言うものは基本無料である。

これはプレイする為の準備金、つまり本来ユーザーがゲームに対して支払うべき価値を、

あくまで企業側が広告的な意味などで無償で提供している形である。

それに対してユーザーがこのゲームに支払う価値があると納得できるのであれば、

課金をしてその対価を支払うという仕組みである。

 

商売というのは商品に対して消費者が対価を支払いサービスや物を受け取る事である。

この当たり前の事がソシャゲ上では成り立っていないように思える。

 

その際たる原因が「ガチャ」、いわゆる「ランダム型アイテム提供」方式による課金である。

もはやコレについては以前、「乱数を商売とする」と題して別の記事でも書かせてもらったが、

中身が精査されていないプログラムから生成される乱数で提供されるサービスなど、

商品価値など一切無いということだ。

 

例えば現実世界の話、中身が見えるタイプのガチャガチャがあるとして、

中を覗いたらあたりのカプセルが一番上にあって、

その下は全て空のカプセルで詰まっていたら貴方はそれにお金を投入するだろうか?

では周りに黒い紙が巻かれた状態で中が見えず、

それでいて表の広告には貴方がどうしても欲しい商品の絵が描いてあったとしたら?

 

今この例え話を見て、「現実のガチャとソシャゲのガチャじゃ話が違う」と感じたらそれは危険である。

貴方が今プレイしているソシャゲのガチャが、この例えのガチャと違うという保障はどこにあるだろう?

それを完全に証明できるものは消費者の手の届かない場所にあるのである。

 

つまるところ、消費者が商品の内容を分からず、手に取る事も、返品する事も出来ない。

果たしてこれが商売といえるのだろうか。

 

当然、そんなの福袋や現実のくじ引きだって同じじゃないかという意見もあるだろう。

だがその違いはハッキリとしている。

現実のくじは当たろうが外れようが必ず何かしら価値のある景品がもらえるのである。

それがポケットティッシュだろうが、ハワイ旅行だろうが間違いなく価値のある物である。

 

ソシャゲのガチャのハズレの定義というのは難しい。

ハズレのアイテムにも使い道があったり、

人によってはアタリより価値のあるアイテムだったりという事があるからだ。

所がソシャゲのガチャで与えられる景品はあくまでデータであり、

そのアイテムに対しては一切の物品的価値はない

これは景品表示法でも定められており、具体的には「役務(サービス)」として見られる。

そのサービスですら、無価値な物に成り下がり兼ねないこの商法は本当に正しい商売と言えるだろうか?

 

さらに突き詰めて言うと、最初に述べた、

「ユーザーがこのゲームに支払う価値があると納得できるのであれば、課金をしてその対価を支払う」

と言うことに対して、果たして本当にこの図式が成り立っている状況がガチャにあるのだろうか?

当たるかも分からないくじにお金をつぎ込むと言う事が、一体何を意味しているのか?

これはあとで3つ目の結論において詳細を述べるが、

「ユーザーが払わなければいけないと感じて課金している」と言うほうが正しいのではないかと僕は思う。

そのような状況を意図的に作り出すようなシステムを盛り込んでいるゲームが、

ここ最近では多々見かけるようになった。

 

人々の競争心や射幸心を煽る形であの手この手で課金をさせようとしているやり方はどう考えてもおかしい。

本来ゲーム制作会社が考えるべきなのは「課金をさせるゲーム」ではなく「課金したくなるゲーム」ではないのか。

そもそもエンターテイメントを提供する業界が、ビジネス主体ユーザーが二の次である時点で間違っている。

業界全体が元々目指していた道から完全に逸れてしまっていると僕は感じる。

 

みんなが「お客様を楽しませたい」と思っている集団じゃないといけない。そうしないとお客さん本位の対応ができる会社にはならない。

–岩田聡(元任天堂 代表取締役社長)

 

夢のない時代になっても、自分が夢を見続けることと、人に夢を与え続けることは同じこと。だからこそ、もの創りを続ける。

–小島秀夫(コジマプロダクション代表 代表作:メタルギアシリーズ等)

 

偉大なる先人の言葉を、業界の方はしっかりと噛み締めてもらいたいものである。

 

2、稚拙な内容の商品を量産し続けている現状が業界にとって好ましくない

これは消費者へ向けた警告ではなく、ゲームを作る側に向けての問題定義である。

そもそもこのソシャゲが流行り出した発端となったのは、

スマートフォンの普及が一因であることは間違いない。

個人が高性能な端末を持つ事によってありとあらゆるサービスを企業は提供できるようになった。

そこで爆発的な流行をみせたのが基本無料で出来るゲームアプリであった。

 

ソシャゲ黎明期、まずはブラウザゲームを基盤としたWEBアプリ的なゲームが流行り出した。

ハッキリ言ってしまえばこの時代のゲームは既存のCGIゲームにも劣るゲーム性だったが、

人気アニメやゲームが元となったゲームが数多く出回ってくると、

それにつられてプレイ人口も自然と増えていった。

見る見るうちに増えていったソシャゲはいつしか、

ブラウザの枠を超えてスマホの普及と携帯端末の性能向上と共に

アプリ業界へと勢い衰えぬまま雪崩れ込んでいった。

 

だがここで企業側に大きな問題が浮かび上がる。

それは技術革新により開発のコストが大幅に増えた事である。

外部リンク:スマホゲーム各社の開発費はどのくらい!?開発費用が高騰していると言われている直近2年間のスマホゲーム会社の開発費の推移を調査

2013年~2015年にかけて軒並みどの企業もコストが従来の2倍近くに増えている事を考えると

ユーザー側の求めるゲームの質がいかに高水準であったかという事がわかる。

だが、単純にこのグラフを見るだけでは「そりゃ課金要素も増えるよね」となりがちだが、

注目してもらいたいのは「外注費」の割合が年々増えている部分である。

 

つまるところ自社では開発が追いつかず、

別の業者に委託してとにかく数多くのゲームを作る事に没頭し出したのである。

しかしこれはゲームを作る側にとっては大きなメリットを生んだ。

今まで見向きもされなかった中小規模の開発会社にも発注が及んだ事により、

そういった会社にとっては大きなチャンスの一つでもあった。

また、個人のイラストレーターや声優の卵などにも、その才能を発揮する機会が巡り

簡単にプロデビューするきっかけをも与える事となった。

やがてソシャゲ開発は大きなビジネスモデルとなり、多くの企業が参加する巨大マーケティングへと成長した。

 

この頃にはもはや、ソシャゲとはとにかくゲームの数を増やし、

ヒット作が一つでも出れば大儲けができるという考えが蔓延した時代になっていた。

下手な鉄砲数うちゃ当たるとも言うが、

コレは本来のゲーム業界のあり方を根底から捻じ曲げる結果となったと言えよう。

 

だが、そうなってしまう原因はソシャゲだけが問題ではないのは分かる。

コンシューマ向けの据え置き機のゲーム開発は、技術革新が進みすぎた事によって

より繊細なグラフィックを求められたり、ゲーム自体の容量の上限がほぼ無くなった事によって

大手企業でもなかなか手を出しづらい状況になりつつあった事も要因の一つであると僕は考える。

だがここで、手を引くようでは次世代のゲームと言うものは永遠に失われてしまうのである。

 

手っ取り早く稼げて、しかもコストもかけずに短期間でローンチにこぎつけられるソシャゲは、

まさにゲーム開発企業にとっては夢のようなビジネスモデルであったのは間違いない。

だが、昨今のソシャゲを見ていると、どうもその信念は常に「人<金」であり、

ゲーム性、デザイン、ストーリー、グラフィック、アニメーション、音楽、広告…

どれをとってもソシャゲは全体的にレベルが低いと僕は感じる。

 

バグだらけのゲームをとりあえず公開して、あとで簡単にパッチを当てられるからそれで直せば良いなどと、

本当に商品を売る立場の人間が考えて良い事だとでも思っているのだろうか?

 

腐った原材料を使って食品を作り、

とりあえず出荷したがやはり中毒者が出たので病院にいって治療を受ければ良いなどと、

本気でそんな事を考えて商品を作っている生産者が居てよいのだろうか?

 

ソシャゲの開発に関わる企業や個人もそうだ。

 

安い賃金で、もしかしたら大金持ちになれるかもしれないよ、プロになれるかもしれないよ、と

甘い言葉に乗せられて、自分達が心血注いだ商品が目の前でただいたずらに消耗されていく。

そんなビジネス形態はもう一度最初から考え直すべきではないだろうか。

クリエイターは消耗品を作ってるんじゃない。作品を作っているんだ。

その心を忘れてはいけない。

 

もっと正直な言葉で言おう。

ゴミのようなゲームばかり作っては捨て作っては捨てを繰り返し、

ただひたすらに当たりが来るのを待っているだけの腐りきったゲーム業界に

もはや「信念」と言うものを僕はカケラも感じられない。

 

ゲームとはエンターテイメントであり、遊びであり、娯楽である。

人に楽しんでもらおう、喜んでもらおう、感動してもらおう、

そういった意志が感じられないソシャゲというジャンルには

ハッキリ申し上げて反吐が出る程醜悪なビジネスであると断言しよう。

 

そしてここからが本題でもあるが、

そういった事も含め、なにより問題なのが業界全体の次世代への進化を著しく妨害している事である。

 

結局のところソシャゲとは技術の進歩に追いつけなかった負け組のビジネスである。

次世代の技術を取り入れるどころか徐々に衰退していき、

ゲームの内容においては退化の一途を辿っている。

資金が無かった、技術が無かった、それは仕方の無い事かもしれない。

だが、VRやARと言った革新的技術が世界中で広まる中で日本だけが

こうしてソシャゲ一色に染まろうとしてしまっている。

結果、次の世代が最新技術に眼を向けず、退化したゲームに満足してしまい、

技術の進歩に貢献しなくなってしまう。

これは未来の日本のゲーム業界において由々しき事態であると同時に、

こういった分野での研究に遅れが出る事はわが国の技術発展にとっても大きな痛手になるだろう。

 

たかがゲーム如きでそんな事にはならないだろうと思う人もいるかもしれない。

だが人間は本来、常に新しい体験を求める事によって進化を遂げてきた。

いつだってゲームは僕達に新しい体験を与えてくれるし、

僕達もまたゲームに新しい体験を求めていたはずである。

「ゲームとは進化である」とまでは大きなことは言えないが、近い事は言えるかもしれない。

第一、日本のゲーム開発技術は世界トップレベルといっても過言ではない。

これはやはり我々人類の進化の賜物なのではないだろうか。

 

人が夢を求めるのは常であり、夢をゲームの形で与えてくれるのが人である。

剣と魔法の世界を冒険する夢であったり、未来都市の空を飛ぶ夢であったり、

遠いはるか彼方の宇宙を旅する夢であったり、

そういったものを僕達はゲームに求めているはずである。

求めているのは決してくじ引きで決められた武器で戦うだけの運命ではないのだ。

 

少し話が詩的になってしまったが、僕が言いたいのはそう言う事である。

技術の進歩創造の進歩。

この二つの歩みを止めているソシャゲという存在は、直ぐにでも切って捨てるべき存在であると僕は強く思う。

 

3、ゲームと言うもののあり方が歪み始めている

前述の項が企業に向けた物であるならば、この項はプレイするユーザー側に向けた警告である。

 

世の中にソシャゲが流行り出した頃、プレイするユーザー側にもある変化が訪れた。

それはプレイするユーザー層が大きく変化した事である。

 

「今までゲームと聞けば子どもやオタクのやる物だと思っていた」

そんな事を言っていたユーザー、つまり俗に言う「ウェーイ系」が次々とソシャゲにはまりだしたのである。

きっかけは恐らく各SNS上で流行り出した、ユーザー同士の交流を目的とした、

いわゆる「ソーシャルゲーム」が爆発的に流行した。

短時間でプレイが可能であり、普段使っているSNS上から遊ぶ事で

コミュニティを形成できる形態が流行の理由となっているが、

実際のところはもっと簡単な理由だと僕は考えている。

 

コレもハッキリ言ってしまおう。

突然ソシャゲをやり始めた人間は十中八九「モテたい」からである。

誤解をしないで頂きたいのは「モテたい」というのはいわゆる出会い系に基づく物に限らないという事だ。

結局のところ彼らは自己顕示欲が強く、

「ゲームで強い=目立つ!」という図式に魅かれて始めたのが殆どだと思う。

何故そう言いきれるのか、と聞かれたら

「だって自分だってゲームで強かったりめちゃくちゃ良いスコアだしたら自慢したくなるでしょ?」と言いたい。

しかもそれが、まさに自慢するにうってつけの場所であるSNS上での出来事であれば尚更だ。

 

そもそも何故SNSをやっているのか。それは形はどうあれ、人と繋がりたいからという理由がほとんどだろう。

人と繋がっている場所でゲームの腕自慢ができる。目立てる。目立っている人をみて自分もやりたくなる。

この連鎖が起きて爆発的にプレイ人口は増えていったと僕は推測する。

 

ではコレの何がいけないのか。

それはゲームの主目的が楽しむ事ではなく、自分を良く見せたいという歪んだ意志による物である事だ。

前項でも述べたが、そもそもゲームとは自分が楽しむ為にやるものであったり、

他人とその楽しさを共有すべき物であるはずなのだ。

 

しかしどうだろう、近年のSNS栄えとでも言おうか、プレイヤー達の目指すべき場所は

自分が周りの人間より優れているという事を誇示するのが目的になっていないだろうか。

コレは恐らくゲームに限った話ではないが、少なくともこういった目的であろう投稿が目立つ事は間違いない。

 

それを煽るかのように、ゲーム側もガチャなどで入手困難なアイテムを手に入れた際、

SNSに画面をシェアするボタンなどをつけたりと、あからさまな機能を盛り込んだりする始末である。

 

そういった課金ですらも自己顕示の為にする事を躊躇わないプレイヤーもいれば、

あえてその課金額をもってして自分を誇示したがるプレイヤーですら現れ始めたソシャゲ界隈は、

もはや何のためにゲームをやっているのか分からない世界へと変わりつつある。

 

こんな事はソシャゲに限らず、以前から変わらず存在するネトゲにも当然のように起きていた事である。

しかし、今この時代は違う。

今までゲームに見向きもしなかった世代、性別、人種、

そういった人間が関わりはじめた事によって、ある種の社会現象となり、

再びこの問題の定義がリセットされたとも言えるのではないか。

 

大昔、ファミコンなどが普及し始めた時代は、ゲームというものは一人でやるものであった。

あの時代のゲームは難易度も高く、クリアする事自体が困難なタイトルがいくつも存在した。

そんなゲームを地道に努力してクリアした達成感を他人に自慢して聞かせる。

それは今も昔もずっと変わらない流れであるはずだ。

 

だが今のゲームはクリアに必要なのは何であろうか。

現金をつぎ込んだ末にようやく引き当てた、当選確率0.0001%の武器か。

ひたすら同じプレイを作業のように何度も何度も繰り返し、

時間をありったけつぎ込んだ末にようやく出来上がったキャラクターか。

そしてそんな努力すら無効化してしまうほどの力を持つ突如新実装された強力な防具か。

 

価値も定まらない出来損ないの商品にお金を払い続け、

いつゴミになるかも分からない実態無きサービスに時間を割き続け、

挙句それは自分が楽しむ為でなく、人に自慢する為のゲームと言う名の何かをプレイし続ける事が

はたして健全と言えるのだろうか。

 

僕は断じて違うと言い切る。

ソシャゲはゲームなどではない。

ソシャゲをゲームとして認めた時、改めてゲームはゲームで無くなるのだろう。

 

まとめ

売る側、作る側、プレイする側。

ソシャゲと言うモノは、それぞれの側面において問題だらけである事を僕は語ったつもりである。

だが、今これを力説したところで、人々の感覚が既に麻痺してしまっている事は理解している。

 

今、世の中はきっとこの状況を楽しんでプレイしていると感じている人が多いのだろう。

だがその感情は本当にほんの一時にしか訪れないのではないか?と僕は問いたい。

その一時の為にお金と時間をつぎ込み続けるというのなら、

それはギャンブルやドラッグとなんら変わらないのではないかと僕は思う。

 

ゲームはギャンブルでもドラッグでもない。

きっとこの想いだけは今ソシャゲをプレイしている人たちと共感できるはずだ。

 

本当にゲームが好きならば、本当にゲームを愛しているのならば、

今すぐソシャゲをプレイしているときの自分の感じている気持ちに正直になってもらいたい。

 

貴方のやっているゲームは本当にゲームですか?

■この記事を書いた人

Kamo'ne
Kamo'ne
オープンワールド、アクションMO・MMO大好き人間。
ネトゲでは必ず魔法使い系でプレイする傾向にあり。

4 thoughts on “ソシャゲ・スマホゲーが流行ってはいけない理由

  • 2018年3月1日 at 00:24
    Permalink

    ゲームの開発やシステム、マーケティングについては考察できるほどの知識を持っていないので、あくまで本文を読んだ一個人の感想として書きます。

    まず1.について
    1.では不顕性の物(ここではガチャに関する確率・乱数)に対する商売について書いていますが、現代のソシャゲの商法・課金システムは確かに歪んでいると思います。
    しかし、ソシャゲが流行っているということは、ユーザーがそれ(特にガチャ)を望んでいるということでもあります。
    したがって、「乱数を商売とする」でも論ぜられているように、ガチャに対しては何かしらの措置を取らなければ健全なゲーム商売を営んでいるとは言えません(かといって代替案があるかと言われると何ともいえませんが)。
    要するに、ガチャ要素はユーザー側も求めているもの(それを楽しいでいる人もいること)であるので、ガチャ(またはそれを取り入れているソシャゲ)を廃するのではなく、そのシステムにメスを入れる必要があるのではないでしょうか(かもさんの推す乱数調整ツールの話は詳しく調べていませんが)。
    ボックスガチャとかいいかもね。前ぴぎとも少し話したけど、ガチャで当たりが出なくてもユーザーがある程度満足できるシステムを考えることとか。
    開発側も商売なので利潤が無いとゲームを制作できないことを考えると、課金を強要するようなゲームではなく、パッケージ方式にして販売する方が健全な商売だと考えます(ガチャは全てゲーム内マネーで、とか)。

    2.について
    ソシャゲはコンシューマーゲームと違い、確かに安価で流通を図れるという点では、いわゆる出来の悪いゲームを量産して数打ちゃ当たる方式で商売をしやすいと言えます。
    その結果、質の低いゲームが多く世に出回る結果となっていることも事実かもしれません。
    しかし、ソシャゲ全てが当てはまるかと言われると同意しかねます。
    ソシャゲの中にはハイクオリティなゲームも存在します。
    また、クオリティの低いゲームはユーザー側も見限り、結果として「売れないゲーム」となるのでゲーム業界にさほど大きな影響は与えないのではないでしょうか。
    反対に多くのゲームが出回るということは、単純にユーザーに受け入れられるゲームが作られる可能性もあると思います(逆もまた然りですが…)。
    競争が起こることにより、より質の高いものができることも確かでしょう。

    3.について
    どんな理由であれゲームをプレイする人が増えることは、ゲーム業界においてはむしろ喜ばしいことではないでしょうか。
    ”今までゲームに見向きもしなかった世代、性別、人種、そういった人間が関わりはじめた事”は、まさにゲーム作りをする側にとってもこれ以上ないほど嬉しいことと思います。

    これらをまとめると、ソシャゲは、その手軽さやクオリティの高さから、ユーザーも求めているものであるので全面的に流行ってはいけないと言ってしまうには惜しいと思います。
    しかし、現在のソシャゲの有り様は行き過ぎている節もあるのでその歯止めをするためにも、ユーザー側も意識を変える必要があり、その声を開発者側に届けなければなりません。
    そのため、ユーザー側に注意喚起をする意味でも、今一度ソシャゲやそのプレイ方法について再考する記事であったと思いました。

    Reply
    • Kamo'ne
      2018年3月1日 at 00:47
      Permalink

      貴重なご意見をありがとう。せっかくなんで理由毎に返信させて頂こう。

      1について
      まずガチャと言うものに頼るのはもうやめようじゃないか。
      ゲームのシステムとしてもっと組み込める部分があると思うのだよ。
      そういうところを全部省いてゲーム性もクソもない「ガチャ」っていう仕組みをつけて
      ハイ、オシマイってのは2にも関わる事だけど余りにも思考停止すぎる。
      本文に書き忘れてたけどきんぱちの言うとおりパッケージとして
      ちゃんと「商品」にしてから出すっていうのには同意見。当たり前の事だよね。

      2について
      ソシャゲにもハイクオリティ作品があるのは分かるが、
      スマートフォンないしタブレット端末の性能の限界ってのがやはりある。
      それは映像とかもそうだけど操作性であったりバッテリーの限界だったり、
      ネットワークに依存していたりとまだまだゲーム機としては未熟すぎるが故の事。
      もし今後超ハイスペックで操作性が向上した機器が出たとしたらそのときは
      ソシャゲに軍配が上がるのかもしれないな。
      けどその頃にはきっと世界の方が先を行っているよ、って話。

      3について
      確かにゲームをする人、興味をもってくれる人を増やすっていうのは良い事だ。
      かの任天堂もゲームの対象を個人ではなく「家族」に狙いを定めて成功を収めたのも頷ける。
      それは確かに同意できる点かもしれない。
      だが、そういったせっかくのチャンスをソシャゲで終わらせてはいけないし、
      「ソシャゲ=今の世の中のゲーム」という認識を決して作り出してはいけないと思ってる。
      きっかけとしてのソシャゲは良いのかもしれないが、いつまでもそれに甘えていてはいけない。
      ただ金を生み出すだけの仕組みにプレイヤーが組み込まれてしまっては何も生み出さないし何も進まないのだ。

      ってな感じ。
      意見を聞いて反論してみると、
      やっぱり僕が一番言いたいのは3よりも2なのかもしれないなと再認識した。

      Reply
  • piggy
    2018年3月1日 at 09:50
    Permalink

    ソシャゲが糞ってのは概ね同意だけどそれじゃつまらないからあえて擁護視点でいっちゃうよ

    >術の進歩と創造の進歩。
    >この二つの歩みを止めているソシャゲという存在は、直ぐにでも切って捨てるべき存在であると僕は強く思う
    これはあまりにもソシャゲに原因を押し付け過ぎではないだろうか

    ソシャゲは音楽業界で例えると
    オリコン上位を独占する国民的アイドルグループとか歌って踊れる男性ユニットのような存在だと思っている
    「こいつらがいるから業界は衰退した」
    「本当にいい音楽が評価されない」
    「リスナーの質が下がった」
    「握手券商法は醜悪ビジネス」
    かもさんの話からはこんなニュアンスを強く感じる
    もしかすると一因はあるかもしれない
    でも音楽が売れなくなった原因はもっと他にあるように思う
    業界そのものが衰退している中、多少反則めいた手を使いながらも生き残った
    強引な解釈をすれば業界をぎりぎりで支えている功労者と見ることもできるのではないか

    話を戻すと
    本来かもさんみたいなゲーム好きと
    ソシャゲ大好きウェーイ系
    この二つの層はゲームに求める面白さがそもそも違う
    ゲーム好きは「ストーリーの重厚さ」「ゲーム性の高さ」「達成感」などを求めるのに対して
    ソシャゲ好きは「簡単操作でお手軽プレイ」「オートでさくさく進行」「SNSで自慢できる」などを求めている
    よって本来この二つの層の需要は互いに食い合うことなく共存していけるはずなのだ

    にも関わらず業界がソシャゲばかりを次々とリリースしているのは何故か
    議論の余地もないほど理由は明白である「儲かるから」だ
    逆に言えば据え置きや買い切り型のゲームが衰退している理由は「儲からないから」だ

    この現状に対してゲーム好きがすべきことは、製作側を批判することでもなければユーザーを見下すことでもない
    自分が本当に面白いと感じたゲームを買い支え、それをSNSなどで拡散し、より多くの人にゲームの良さを知ってもらうことだ

    演歌が売れなくなったのはアイドルのせいではない

    Reply
    • Kamo'ne
      2018年3月1日 at 13:22
      Permalink

      非常に鋭い意見だ。
      確かに僕の主観が大いに盛り込まれている事は否定できないし、
      ソシャゲはソシャゲ、従来のゲームはそのまま従来のゲームであるという点においては同意できる。
      もともと相容れない存在であることはその通りだし、
      ファンはファンらしく活動すべきなのは重々承知している。

      ただ、僕が言いたいのは、どう共存していくべきなのか、ではなく
      ソシャゲと言う存在自体に警鐘を鳴らしたいのが主旨だ。

      1や2の項で述べている通り、ソシャゲと言う物は今、非常に危ない橋の上で行われている取引だ。
      商品価値も定まらず、技術の発展も無く、製品・サービスとして一定のクォリティ水準を保てていない。
      そんなものが蔓延している時点で消費者が「これはおかしい」と気づけない世界になっている事が
      一番問題であると僕は思っている。

      アイドルのファンには申し訳ないが、貴方達は騙されているといっても過言ではない。
      一時の夢を見せられてそこに多額の投資をしても、それは次のアイドルの為にならないのではないか。
      健全な領域での取引から大きく外れてグレーゾーンに踏み込み始めている業界に投資を続ける事は
      将来の道をどんどん苦しい物へ導く事に他ならない。
      アイドルだっていつかは引退する。
      その時に自らの次の夢を託す相手が銭ゲバになっている事を想像すべきだろう。

      確かにぴぎの言う通り、好きなものは好きでそれぞれ共存の道を選ぶことは大事だろう。
      だが、一方が一方の道を閉ざしかねない状況なら僕は必至で抵抗する。
      和解はあり得ないとまでは言わないが、難しい状況なのは間違いない。

      Reply

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