piggy式教育論

どうもぴぎママです

このブログで何度も議題に上がってる倫理観だの道徳心だのの問題
この問題をネットの普及と教育に結び付けて語ってみようと思う

俺はこの原因の多くは教育の仕方に問題があるからだと思っている
言うまでもないが子の人格形成や倫理観は親による影響が大きい

だからといって親が全て悪いと言うつもりはない
親も一人の人間であり、必ずしも正しい倫理観を持っているとは限らない
そして子育ては自己の経験で判断するのが難しい、
試行回数と結果のトライ&エラーを重ねることが限りなく不可能であり、大多数の親が手探りで我が子を育てている
そこには理屈だけでは語ることができない多大な苦労があり、どんな子に育とうが世の中の親達を責めることは俺にはできない
そして少なからず子育てを経験している分、その言葉には説得力があり、子育てや教育を語るのは多くの場合この立場の者だ

しかし子育ての経験がない俺のような独身貴族に教育を語る権利がないとは俺は思わない
苦労を知らないからこそ理屈のみで教育を考えることができる立場にあるとも言える

ネット上での倫理観の欠如問題

ツイッターや匿名掲示板などでよく見かける光景として
見ず知らずの相手にリアルでは聞いたこともないような人格批判や、差別発言など見るに堪えがたい罵詈雑言を浴びせている人達
この人達の発言や態度は見るに堪え難いものだ

声の大きい少数派と言われることが多いが、ネット上では実際に少数派かどうかを判断することは難しい
考えたくはないが今やこのような思想が多数派だということすら有り得てしまうのがネットの恐ろしいところだ
そして少数派なのか多数派なのかは実は大した問題ではなく、声が大きい時点で既に大問題なのである

なぜならばネットが普及した今、その大きな声が簡単に一般層に届くようになってしまった
それは既に「嫌なら見るな」というレベルを超えており「否が応にも目に入ってしまう」レベルになっている

その声は一般層の思想や倫理観に少なからず影響を与えてしまう
特に倫理観や道徳心の形成が未熟な若年層への影響は非常に大きい
それに影響を受けた人達が発信した内容が更なる他の者へ影響を与え、芋づる式に広がっていく悪循環にある

ネットが日常生活に浸透しきった今、ネットは既にリアルの一部であり
ネットだから許される時代ではなく、ネット上でもリアルと同様の倫理観が求められる時代になっている
よくSNSが炎上した人に対し「ネットリテラシーが低い」などと言われることがあるが俺はそうは思わない
彼らはネットリテラシーが低いのではなく単に「性格に問題がある」のだ
炎上するような発言や行動をネットに上げているから叩かれているのではなく、その発言や行動自体に問題があるから叩かれているのだ
そこを勘違いしてはいけない、ネットであってもリアルであっても関係ない
リアルで許されないことはネット上でも許されないのは当たり前の話である

そしてここで問題視されるのはネットの匿名性である

ネットの匿名性の問題点

匿名性の何が問題なのか
名出しであっても匿名であっても失言などが叩かれるのは変わらない
これは「不用意に誰かを攻撃する行為は良くないことだ」という倫理観が大抵の人には備わっているが故の行為だ
それを乱す反乱分子である彼らにそれを教えようと、更生させようという意図での叩き行為は攻撃者に対する正当な報いである
これはリアルでも同様であり、誰かを不用意に攻撃したならば相応の報いを受ける可能性があるのは摂理である

しかし匿名の場合は少し違う、彼らは自分が叩かれない位置から一方的に他の誰かを攻撃している
もし反撃されたならアカウントを消してさっそうと逃げてしまうだろう
では彼らに倫理観は存在しないのか?、いや違う、彼らの多くは倫理観がないわけではない
彼らの倫理観は恐らく「悪いことをしたら報いを受ける、それが嫌なら悪いことをしなければいい」というものだ
そして日本人の多くがこれに近い倫理観を持っていると俺は考えている
後半のくだりは犯罪者などによく浴びせられる言葉でもある
考え方として間違っているわけではないが
悪いことがなぜ良くないのかという根本部分が抜け落ちている飛躍した倫理観だ

この倫理観は裏を返せば
「報いを受けないのであれば、悪いことをしても問題ない」
「犯罪行為でなければ、誰かを傷つけても良い」
「報いを受ける覚悟があれば、悪いことをやってもいい」
などと考えることもできてしまう危険と紙一重な倫理観だからである
彼らの多くはこの間違った倫理観を持ち、匿名性を盾に攻撃を繰り返しているのだ

「悪いことは良くないことである」という倫理観と
「悪いことをした者には報いが必要である」という倫理観は別物であり
前者の抜け落ちた後者のみの倫理観はただの危険思想だ

そしてこの間違った倫理観が育まれてしまった原因の多くは教育にある

間違った倫理観を育んでしまう教育とは

子供が間違った倫理観を身につけないためにどういう教育を行えばいいか親はしっかり考える必要性がある
「悪いことは〇〇の理由で良くないことだから」と教えることは大前提で
更に〇〇の部分が「他人から報いを受けるから」や「犯罪だから」になってしまうのは間違いだ
なぜならネット上などの報いが想定されない状況であっても悪いことは正当化されないからである

これを踏まえた上で、親がやりがちな間違った倫理観を育みかねない子供の叱り方として
「悪いことをしたら後でお父さんに怒られるよ」
「悪いことをしたらご飯抜きだよ」
「他の人に変な子だと思われるからやめなさい」

などがある
これらは親や他人にバレなければ悪いことをしても良いと子供が解釈してしまう危険性がある
いつか子供が親元を離れたり、ネット上でどういう行動に出るかは想像に容易い
このような叱り方は典型的な間違った倫理観を育む教育であると俺は考えている

ちなみにこれは褒める場合でも似たようなことが言える
「掃除をしたらお小遣いをあげるよ」
といったケースだ
この方式はやり方次第で毒にも薬にもなるので慎重になる必要がある
良いことをさせるために物で釣るのではなく、良いことをしたから褒美を与える方式でなくてはならない
なぜなら良いことをする動機が自分の損得が基準になってしまう可能性が高いからだ
あくまでも子供が自主的に動いた場合に最大限褒めることが大切なのだ
子供に何かをさせてそれを褒めるを何度繰り返したところで子供の自主性や倫理観は育まれない

これらは犬のしつけなどでも同じだ
悪いことをした時に直接叱って育てられた犬は、飼い主がいないところでは悪い事をするようになり
「お手」などの芸を教える場合にも餌で釣っていた場合は餌がない場合は嫌々芸をするようになる、かわいい

なぜ悪いことなのか、なぜ良いことなのかを教えない教育に意味はない

正しい倫理観を育む教育とは

では正しい倫理観を育む教育とはどういうものか、先ほどの例に当てはめて考える
「悪いことは〇〇の理由で良くないことだから」
大切なのはこの○○の部分がいかなる状況においても成立するものでなくてはならないということだ
倫理観とは状況に関わらず普遍的な基準でなくてはならない
なぜ悪いことは良くないのか、これは非常に哲学的な問題でもある

これを踏まえたうえで、正しい叱り方の例としては
「悪いことをしたら相手が傷つくよね、もしあなたが同じことをされたらどう思うかな?」
などといった叱り方だ
悪いことをしてはいけない理由を報いではなく「相手が傷つくから」とした場合は大抵の状況で成立する

しかし、実はこの叱り方にも問題点がある
例えば被害者無き犯罪がそれに当たる
売春、違法薬物の所持、賭博、ポルノの配布、自殺幇助などジャンルは様々ではあるが明確な被害者が存在しない犯罪が世の中には多数存在する
被害者の気持ちを考えるだけでは倫理教育として不十分であり、これもまた正しい倫理観とはいえない

しかしここまで想定してしまうと教育者でもない一般的な親には手に負えないのも事実であり、ましてや子供には理解し難いものだ
そのため基本的には家庭教育のレベルであれば相手の気持ちを推し量る叱り方で十分だと俺は考える
あとは子供の成長に伴って徐々に教えていけば良い、もしくは高校や大学でも学ぶことができるだろう

もしくは今ではすっかり廃れてしまった
「悪いことは誰も見てなくてもお天道様が見ているんだよ、そしていつか自分に返ってくるよ」方式がある
おばあちゃんが言ってそうなこの教え方は今考えてみると素晴らしいものだなと感じる
〇〇の部分を人間ではなく神様的な存在が見ていることにすれば良い

こういった宗教的な教えは倫理観を形成するうえで非常に有効な方式だと個人的に思っている
よく宗教が日常生活に馴染んでいる海外の人から見ると、無宗教の人は人間的に信用できないといった話を耳にすることがあるが
昨今のネット上のモラル低下を見ていると一理あるなと思わされる
近年の日本人の倫理観はある意味同調圧力に近いものであって、それはそれで素晴らしいものである
しかしそれはネット上ではまったく機能しないハリボテの倫理観とも言える
宗教的な概念を抜きにして本当の倫理観を身につけるのが非常に難しいのは事実である

犬のしつけで有名なものの一つに天罰方式というものがある
犬が悪いことをした時に飼い主が直接叱るのではなく天罰にみせかけて犬を驚かせたりするしつけ方だ
ペットボトルをこっそり壁に投げて音を立て、飼い主は知らないふりをするなど様々なやり方がある
これを繰り返すことで犬は飼い主がいない状況でも天罰を恐れ悪い事をしなくなるというものだ
犬にとってこれはお天道様が見ていると思っているのかもしれない、かわいい

人間は子供であっても犬ほど単純ではない
だからこそただ叱るという単純な教育では正しい倫理観が身に付きづらい
なぜ悪いことをしてはいけないのか、親はこの質問に対する答えをしっかり持っていなければならない
その答えを考えるのもまた親としての責務である

 

まとめ

教育とは子供に悪いことをさせないようにすることではない
悪いことがなぜ悪いのかを子供でもわかるように教えてあげることが教育だ
そのやり方は様々で正解は一つではない
どんな大人に育って欲しいかという親の気持ちや教育方針は子供の将来に大きな影響を与える
そしてこのような幼少期からの教育が子供の倫理観を育むのである

倫理観は大人になってしまうと身につけるのがとても難しい、だからこそ正しい教育がとても大切である
親も親である前に一人の人間である、子供が悪いことをした時につい反射的に怒りたくなることもあるだろう
子供の予測不可能な行動の前では毎回理想的な対応をするのは困難だ
思わず声を上げてしまう前に「どう叱るべきか」これを考える気持ちは忘れないで欲しいと俺は願う
そして子供だけではなく教える側の親も正しい倫理観を身につける努力をしなくてはならない
残念ながら大人であってもその多くは間違った倫理観を持っている、あなたの倫理観は正しい物だろうか
正しい倫理観を身につけ、それを子供達に伝えるのは大変な労力を伴う
しかし親はそれを乗り越えなければならない、そしてその苦労にいつか子供が感謝する日が来るだろう

あと犬ってかわいい

■この記事を書いた人

piggy
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6 thoughts on “piggy式教育論

  • Kamo'ne
    2018年6月12日 at 01:07
    Permalink

    ぴぎママって語呂いいな。
    それはさておき、今回は議論テーマではないのでそういう方向には持っていかないよ。
    内容についても、以前この話題で話していたなっていう事は覚えてるし、
    今回はそれについて詳しく書いてくれたおかげでより理解が深まったと思う。

    親ってのは「叱り方」を学ぶ親と学ばない親で差がでるんじゃないかなと思う。
    自分の親から叱り方を学ぶって人も多いだろうけど、関連する書籍とかそういうので
    自主的に調べたり学んだりする親ってのは最近すくないんじゃなかろうか。
    ここで言う学ぶと言う行為は「事前に」と頭に付け加えても良いと思う。
    子どもが生まれる前に、と言うよりは子どもを叱る事態に陥る前に、
    「こう言う事をしたらこう叱るといった構え」こそが重要なのでは?とも記事を読んで考えた。

    つまり、子どもが悪い事をしたその場で、
    とりあえず怒鳴りつけて何が悪かった、どうして悪い事なのかを教えないまま放置して、
    「子どもがこう言う事をしました!皆さんならどうやって叱りますか?」って
    Yahoo知恵袋に書き込んでから躾けるような親ではダメだってことだ。
    悪い事をしたそのときこそ正しい倫理感を生むチャンスであり、
    その時にしっかりと躾をする事で、きっと子どもの記憶にも残りやすいのではないだろうか。

    僕も実家の本棚を整理していて、子どもの躾け方の本が出てきたときには
    ああ、ちゃんとこう言うのを読んで教育してくれたのだなと少し感動した。
    何処でどう間違ってこうなったのかは置いといて、
    ともかく今の時代、親になる人間が親としての心構えを欠いているのでは?
    と言う意味で同感出来る内容であった。
    猫派です。

    Reply
  • piggy
    2018年6月13日 at 13:56
    Permalink

    ああ、それはちょっと感動するな
    学んだことを完璧に実践できるかどうかはともかく、学ぶ姿勢があるかないかで全然変わってくると思う
    親が知恵袋で叱り方聞いてるのはマジで嫌だけど今の時代あながち冗談にも聞こえないから怖いわ
    悪いことをしたときこそ倫理観を育むチャンスってのは素晴らしい考え方

    俺の場合は記事で書いたような俺の理想の教育とは真逆の育てられ方だったかな
    お父さんに言いつけるよ!みたいなセリフは何度聞いたか数えきれない
    それを反面教師にして今があるって感じ、良い意味でも悪い意味でも

    子供を”育てる”のは大変なことなんだけど、その一方で勝手に”育つ”部分も大きいんだよな
    だからこそ正しい育て方をしても良い子に育つとは限らないし
    間違った育て方をしても悪い子に育つとは限らないから余計に難しい
    結局のところどういう大人に育って欲しいなんてのは親のエゴに過ぎないのかもしれない
    「子は親の鏡」とか「子供は親の背中を見て育つ」とか言うけど
    育て方うんぬんよりも親が一人の人間としてしっかりしているってのが何より一番大事なんだと思う
    俺が親になれる日はまだまだ遠いわ

    Reply
  • 2018年6月13日 at 20:29
    Permalink

    ぴぎママ、私思うんだけど親になるのって、親になる準備が整ってから、なんて無理だよ。
    結局、肩書きが先に親になって、子供の成長と共に、中身がその子専用の親になっていくんだよ。
    最適かどうかは別にして、子供が親を見て育つように、親が子供を見て育つんだと思う。
    私も、絶対親になんてなれないって思ってたけど、肩書きが先に親になって、なんだかんだ子供は大事だし、悪いことしたら叱るし、いいことしたら褒めるし、気づいたら親っぽいことし始めるんだよね。
    母乳やってたときは、語弊あるけど、すんごく可愛くて大事なペット世話してるような感覚だったんだけど、子供が自分の意思で笑うようになる頃には、親になってるんだよ、考え方が。

    どんなに教育論のありがたい本を読みあさっても、自分が産んだ”この子”の育て方、っていう本は絶対にないんだよね。
    だから、個性の塊みたいな我が子を、ひたすら愛を持って、正しい方法だと信じて育てていくしかないし、例え何人育てても、やっぱりその子その子で試行錯誤するしかないんだと思う。
    私も食べるものから、夜泣きから、皮膚のぶつぶつから、いたずらの種類から、叱り方褒め方まで調べに調べまくったし、本も探したし、なんか地域でやってるセミナーみたいなのにも参加したけど、びた!っとハマる答えは絶対見つからなかったし、あぁ、この子と同じ子供は一人としていないんだから、オリジナルで育てるしかないんだって、悟ったよ。

    子供の為に自分の全てを犠牲にできるかどうか、これがすべてだと思うんだ。

    最大限の愛を持って、手を抜きさえしなければ、どんなに間違った叱り方、育て方でも、倫理観の欠けた大人には育たないって、信じてる。
    たとえバカだったり、どっか抜けてる子に育ったとしてもね。
    逆に、溢れかえってる教育論で型にはめるから、個性しかない子供が、量産型の没個性な大人に育つんじゃないかって思う。
    もちろん、参考にしないとやってられないし、他にも同じ思いしてる親がいるって思わないと、泣けてくるような日ばっかだけどねw

    親歴短いのに偉そうに言ってごめんね!
    でも、自分の時間全てを捧げて育てて暫定的にたどり着いた答えはここですw
    毎日叱り倒して褒め倒して、情緒不安定そのものだよw

    Reply
  • 2018年6月13日 at 20:48
    Permalink

    あ、でもね、叱り方とかはほんと、気を付けないとダメだよね。
    何故だめなのかってことを、冷静に伝えないとね。
    でも、やっぱりこっちも気持ちが荒ぶってるし、言うこと聞かないし、ほんと悩むことばっかりだよ。
    たぶん、こういえば言うこと聞いてくれた!って言う親なりの成功体験が、間違った叱り方を繰り返してしまう原因なんじゃないかなぁって、ただ親側を責める気持ちにもなれないところはあるw

    ぴぎもかもさんも、こうやって全うな大人になってる時点で、親の教育は成功だと思う。
    そして、ソーシャルネットワークが子供に及ぼす害は、昨今のニュースを見てもわかる通りで、インしてる時点で、親の教育が放棄されてることが確定するわけで、だから、くそがきしかいないんだよ。
    だって、ちゃんと育てられてる子供は、ソシャゲにインしないんだから。

    Reply
  • piggy
    2018年6月14日 at 21:22
    Permalink

    さすがあやなっち、言葉に重みがあるな
    肩書が先に親になって結果的に考え方も親になるってのは確かにその通りだね
    会社組織なんかも同じで、立場や地位が人を作るって要素は大きい
    たとえ未熟でも先に肩書を与えることによって責任感やリーダーシップが育まれて能力は後から付いてくる
    たとえ現時点で能力が不足していても適性さえあれば時間はかかってもうまくいくと思う
    能力が高いに越したことはないけどね、
    そして中には適正がまったくない親もいることに憤りを感じる
    偉そうに言うけど俺も自分に適正があるとは思えないんだけどさ

    あやなっちみたいに試行錯誤した結果オリジナルに辿りついたならそれは一つの正解
    なんだかんだ御託を並べたところで結局子育てに一番必要なのは「愛」なんだろうな

    溢れかえっている教育論で型にはめないってのは大切な感覚だと思う
    子供の性格はもちろん、教育論ってのは時代によって変化するものだと思うから
    だからこそそれを理解してそれを教育に反映する力が求められると思う
    今だと村社会から情報化社会に変化しつつある現状を教育に反映する必要があると思うな
    人目を気にするだけの倫理観じゃ不十分

    Reply
  • 2018年6月17日 at 02:20
    Permalink

    適正がまったくない親ですみません。

    猫派です。

    Reply

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