神は存在するか(復刻版)

以前このブログに大混乱を招いた記憶に新しいタイトル、過去唯一のお蔵入りとなった記事

もはや不可侵の領域とも言える触れてはいけないkamonetにおける禁忌

このテーマに懲りもせず再び挑んでみようという、まさに神をも恐れぬ愚行が今回の記事である

 

主題は飾り

最初に声を大にして言っておく

俺の立場は「神はいるかいないかわからない」だ不可知論者と言い換えてもいい

神は存在すると主張する立場は有神論者、神は存在しないと主張する立場は無神論者

肯定するにも否定するにも十分な根拠がないとして判断を保留しているのが不可知論者である

不可知論には知りえないという意味合いもあるが俺の場合は単にわからないという立場である

 

※追記※
※この記事改めて読み直すと、多くの人達が潜在的には不可知論者であることを前提に書いちゃってるんだよね
※よくよく考えてみるとそうとも限らないんだよなぁって正直反省してる
※下のテーマなんてまさにそれを前提としたものだから有神論者とか無神論者からすればテーマ自体理解し難いものになってる
※正直また書き直したいけど面倒だからしばらくはこのままにしとく

 

テーマは「どんな定義であれば神は存在しうるかを考える」だ

これ自体は以前の記事と何も変わってない

定義を考えるのが目的、定義を決めることではなく、考えることそのものが目的

存在する派としない派の対立構造を作り出したいわけではない

もっと言えば神が存在しようがしまいがそれ自体は俺にとってはさしたる問題ではないのだ

 

前回はテーマの与えるインパクトの強さによって主張が誰にも正しく伝わらなかった

ただ、俺に伝える力が不足していたのも事実、そこは反省しなければならない

 

神という単語の恐ろしさ

まずなぜこの話題は荒れてしまうのか

俺はひとえに人々が『神というものを神聖視しているから』だと思う

これが例えば「宇宙人は存在するか」というテーマであれば恐らく荒れることはなく

専門知識などなくとも、各々が想像力を掻き立てそれなりに夢のある議論が行われるだろう

ところが対象が神になった途端、なぜかそうはならない

 

これは神を神聖視し、各々の中で神の定義がゴリゴリに固まっているからだと思う

人によってはその定義が「神は困った人に手を差し伸べてくれる存在」だったりするのだろう

しかし、現実にそんな甘い話はない

よってその人にとって定義そのものがそのまま神は存在しない理由となってしまう

 

それほどまでに「神」という単語のもつ力は大きい

そもそも万人が納得するように神を定義できた人間など過去に一人としていないのだ

人知を超えた存在であるならばそれはどんな定義も想像のうえでしか成り立たない

 

それがわかっていながらなぜ俺が再挑戦するほどこの記事を書きたいのか

それは哲学的思考を養う上で想像こそが最も重要であると考えているからだ

 

哲学的思考と想像力

『世界五分前仮説』という有名な仮説をご存知だろうか

この説はイギリスの哲学者、論理学者、数学者であるバートランド・ラッセルによって提唱された

「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説である

世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである
— ラッセル “The Analysis of Mind” (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)

 

こんなのとんでも理論だと唱える者も多いだろう

しかし誰もこの説を反証することはできない

たとえば5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない

なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ

 

俺はこれを初めて見た時に感銘を受けた

「そうかもしれない!」と思ったわけではない

感覚的に「さすがにそれはないだろう」とごく当たり前な感想を抱くと同時に

自分がどれだけ固定概念に縛られているかを突き付けられたようなえも言われぬ感覚を味わった

考えれば考えるほどに「絶対にありえないとは言いきれないな」と考えさせられる仮説だと思う

 

この説をありえないと感覚的に否定することは簡単だ

しかしこのような理論を考え出すことはとても困難だ

「もしかしたらこうかもしれない」これを考える想像力こそが哲学的思考なのではないだろうか

 

感覚的に神を肯定するのでも否定するのではなく

論理的に存在する可能性、または存在しない可能性を考えてみないか、ってのが俺の意見だ

 

 

神の定義

話を戻そう

「どんな定義であれば神は存在しうるか」だ

まず仮に世界5分前仮説が真であれば、概ねどんな定義であっても神は存在しうるだろう

少なくとも俺が「神は存在しない」派に属さない理由としてはこれだけで十分だ

 

では神の定義を「人間が知覚できず、かつ人間の生死を自由に握る存在」という単純なものとした場合はどうだろうか

この場合は例えば宇宙は細胞であり巨大生物の体内

だとすれば巨大生物を神と見なすことで成立するのではないだろうか

 

では先ほどの定義に更に追加で「観測者である」という定義を付け加えたならどうだろうか

これは哲学の思考実験である「水槽の脳」のように

自分が体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティ

だとすればそれを管理するものを神として成立するのではないか

 

仮にきーちゃんあたりが「実は私こそが神だ」と主張してきたとしても

これを論理的に否定することは俺にはできない

しかし、〇〇の条件下ではありえるかもしれないと提示することはできるだろう

論理的に否定できないのならばむしろその可能性を突き詰めていくべきではないだろうか

定義がないのであればありとあらゆる定義を考え出すことが第一歩ではないか

 

神は存在するか

これらの仮説は自分でも何の根拠もないとんでも理論であることは承知のうえの話だ

これらを根拠に「神は存在する」なんて言うつもりは毛頭ない

ただ、様々な可能性を考えれば考えるほど「神はいるかいないかわからない」に俺の思考は収束していくのだ

この思考を突き詰めていくと俺もいつかパスカルの賭けのような思考に至るのだろうか

 

理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す

 

 

これに限らず多くの科学者や哲学者が神の存在を信じていることについて俺は割とすんなり納得している

神の存在の否定が論理的にどれほど困難であるか

それはきっと「可能性は低いが存在しうる」といったレベルではなく

神がいないと説明がつかない事が多すぎる故にたどり着いた境地なのだろう

 

俺にはとてもその境地にたどり着くほどの知識もなければ信仰心もない

今後も「神はいるかいないかわからない」から抜け出すことはできないだろう

しかし、わからないからこそ想像するのだ、考えるのだ、それこそが哲学ではないだろうか

 

まとめ

神に限らずこうやって色々な可能性を模索するのは楽しいと思わないか

創造はいつだって想像から始まるのだ

 

しかしこの記事が生き残る未来が残念ながら俺には想像できない

またお蔵入りになってしまうのだろうか

果たして俺の想像によってどんな未来が創造されるのだろうか、それはまさに神のみぞ知るのだ

 

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18 thoughts on “神は存在するか(復刻版)

  • Kamo'ne
    2018年5月19日 at 12:34
    Permalink

    あの、冒頭お一人で盛り上がっているところ大変失礼なのですが、以前の記事って知らないんですけど。

    それはそれとして神は居るよ。
    それがぴぎの概念としての神ではないかもしれないけど神は居るの。

    今まで誰にも話した事は無かったけど僕の夢は「神」になることだ。
    それは宗教的なものや世界的なものじゃない。

    例えば小説家。
    お話の中の登場人物に自由意志があるかと問われればそれは無いだろうが、
    少なくともその世界の中を自由に構築、創造できる。その世界における神だ。

    例えばプログラマー。
    プログラムの中で動くコードを自由に書き換えられる。
    自分の意思によって自分の思い通りに動かす事ができる。
    まるであたかも自由意志をもったかのように振舞わせる事もできる。
    その世界における神だ。

    例えばTRPG。
    TRPGの世界においてGMは神だ。
    事象をあやつり、プレイヤーを楽しませたり苦しませたり思いのままに世界を操れる。
    サイコロの出目という不確定要素ですら時には自分の手で覆す事もできる。
    そして与えた試練を乗り越えんとする人と対立する事もできる。

    だから神は居るんだよ。

    Reply
  • piggy
    2018年5月19日 at 14:27
    Permalink

    俺の執筆意欲を激減させた記事を覚えていないとは何という神のいたずらか

    それらの例はまさしく神と形容しても良いと思う
    このブログにおける神は管理者と考えればかもさんはもう既に夢を叶えているとも言えるね

    そしてこのコメントで理解できることは
    思いのままに世界を構築し、想像し、操作することができる存在をかもさんは神と定義しているってところかな
    これが意識してのことなのか無意識にしていることなのかはとても興味深い
    例えば構築しただけの存在では神とはいえないってことかな

    ただ生く末を見守るだけの存在のようなものも神ではないと言える
    その定義でいうところの小説の読者は神ではなくただの観測者であるということだ
    たとえ存在を認知できず、自らの全てを把握された存在であっても神とは言えず
    人知を超えた存在であるだけでは神の必要条件を満たさない

    いや、観測者であっても神に対し何らかの影響を与えることによって世界を変化させることが可能であれば
    それは神と同等の力を持つ存在と言えるのかもしれない、その辺は解釈が難しいな

    現実世界における神についての見解もぜひ聞いてみたいところだね
    かもさんの中での神の定義が揺るがないものであるとすれば俺が想像する神より存在の可能性は低いものに思える

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月19日 at 15:25
    Permalink

    少なくとも神という存在はその世界を掌握している存在に過ぎない。
    故に、支配しているのとはまた違う。
    その神が一体何のための神であり、誰の神であるかが重要なのだ。
    世界に数多宗教があり、崇拝する神が一人ではないのはその為だ。

    ならば僕にとっての神は必ず居るのだ。
    現実世界にとっての神がいるか問われれば、僕は「居る」としか答えられない。
    ぴぎにとっての現実世界の神がいるかと問われればそれは「知らない」のだ。

    逆に考えろ、我々が神の観測者なのだと。

    Reply
  • piggy
    2018年5月19日 at 16:02
    Permalink

    待ってくれ抽象的すぎて理解が追い付かない

    かもさんにとっての神とは少なくとも世界を掌握している存在であり
    それは先のコメントで書かれていた小説家のように別の世界を掌握しているような者ではなく
    現実世界、ひいてはかもさん自身をも掌握する存在が必ずいる
    しかし、その神が他の人にとっての神であるとは限らない
    という解釈でいいだろうか

    論破したいなどという浅はかな気持ちで質問しているのではなく
    純粋な知的好奇心なのは理解してもらいたい
    俺が興味があるのは存在そのものではなく考え方なのだ

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月19日 at 19:15
    Permalink

    神という曖昧なものを定義しようというのに抽象的すぎるだって?
    人の子よ、理解するなかれ。
    感じるのだ。

    これは冗談ではなく、誰にとって、何にとっての神なのかを考えるしかないの。
    だってそうでしょう。
    神様ってなに?って聞かれて漠然とした答えしか出せないんだから。

    現実世界にとっての神は世界しか知らないの。
    だとすればその神は僕達の中には居ないの。
    もちろん、存在すると信じていればその神は存在するの。

    たったこれだけのこと。
    他人に自分の神を認めさせようとするから戦争が起きる。
    自分にとっての神は自分の中にしかいない。
    そういうこと。

    そして一番ぴぎにわかりやすいように説明するのであれば
    僕達が妄想で描いているこの世界を外側から操る「神」と呼ばれる
    物理的(かどうかもわからないけど)な神の話なら、
    それこそ信じるかどうかで存在は非常に曖昧。
    なぜなら僕達はそれを今の技術で認知することはできないから。

    居ると居ないが同時に存在している状態。
    僕らは箱の内側にいるシュレディンガーの猫なのだ。

    Reply
  • piggy
    2018年5月19日 at 20:51
    Permalink

    現実的なものを抽象的に表現するからこそ、曖昧なものを現実的に表現するからこそ
    そこに価値が生まれるのではないだろうか
    曖昧なものを抽象的に表現することに価値がないわけではないが、この二つよりも遥かに簡単だと思わないかい

    それに曖昧なものを曖昧なままにしておこうというのは思考の放棄であり哲学的思考とは正反対だろう?
    漠然とした答えしかないものを更に解明するために考えるのが哲学さ

    ただ、信じることによって神は存在するという意見は考えさせられるものがあるね
    意識や感情と似たものと捉えれば人によって存在したりしなかったりすることへの説明にもなりうる
    必ずしも神が物理的なものであるとは限らないという意味ではとてもいい意見だと思う
    信じる心そのものかもしれないし概念の集合体のようなものかもしれない

    一方で物理的なものである可能性も捨てきれないと思うんだよね
    こちらの場合はもはや信じるとか信じないの話ではなく、存在するかしないかになる
    かもさんが言うように今の技術では認知できないことは間違いないが、この先どのような技術を優先的に開発するかという意味ではこれについて考える意味はあるのではないかな

    シュレディンガーは名前がカッコ良すぎたのが罪だと思うわ
    本来の批判的意味合いで使ってる人見たことない

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月20日 at 12:17
    Permalink

    どうやらようやくこの台詞を使えるときが来たようだ。
    くらえ!(逆転裁判風に)

    「貴方は何か勘違いをされているようですが」!

    シュレディンガーの猫は非常に現実的な話だよ。
    量子力学的な問題を定義する際に使われる言葉であり、
    決して存在が曖昧だとかそういう意味で使われるべき言葉ではないのだよ。
    観測者が居ればその存在はある形を成し、
    逆に観測されなければその存在は存在してると存在していないが50:50の状態。
    これは曖昧なのではなく0と1が重なり合った状態。

    まあ僕も量子力学の事はさっぱりなのでこれ以上はわからないが、
    つまり神は量子的存在なのではないかと考えている。
    最先端の科学の言葉を借りて言うならばそういうことだろう。

    それは観測が物理的なものではなく、精神的な観測、
    つまり「居る」と認識することで「居る」事になる存在だと考えれば
    まあ合点はいくんじゃないかなと僕は思っている。
    物理的存在の証明は難しいけど、もっと高次元の存在であり、
    我々が常識では考えられないモノなのだろうとは考えているよ。

    Reply
  • piggy
    2018年5月20日 at 16:05
    Permalink

    異議あり!(逆転裁判風に)

    確かにシュレディンガーの猫の誤用で最も多いのは
    「開けてみるまでいるかいないかわからない」といったケースに無理矢理使う場合だ
    実際は開けてみるまでわからないといった単純な話ではなく
    量子力学についてのかもさんの理解は概ね正しいと言えるだろう
    ちなみにこれはコペンハーゲン解釈と呼ばれる、一応他にも様々な解釈があるが最も有名で代表的なものだ

    そしてこれを
    「そんなのおかしいだろ!じゃあ箱の中に猫を入れて毒ガス入れたら猫は生きている状態と死んでいる状態が重なり合ってるとでもいうのか?馬鹿げた考えだ」
    と皮肉った例え話で批判したのがシュレディンガー
    理解し難いコペンハーゲン解釈への批判、これがシュレディンガーの猫
    実際にはミクロの話をマクロの話にそのまま適用できるかどうかわからないので少々的外れな極論である
    つまりシュレディンガーの猫とは量子力学そのものではなく、むしろそれに対して否定的な思考実験の名称だ
    量子力学の説明として使用されるのは誤りなのだ

    これを踏まえた上でどうしても使いたいのであれば、あくまでカウンターとして使用すべきだ
    「神は量子的存在なのではないかと考えている、つまり「居る」と認識することで「居る」事になる存在だと考えれば合点はいくのではないか」
    といった今回のようなコペンハーゲン解釈を前提とした主張に対しての軽い皮肉を込めた反論として
    「まるでシュレディンガーの猫だな」
    とクールに返すのが中二病感溢れるカッコいい使い方なのである、まぁただの皮肉で反論になってないんだけども

    先のかもさんのコメントのように自らシュレディンガーの猫に例える行為は自虐的、自己否定的な意味合いが強く含まれてしまう
    更にシュレディンガーの猫の誤用が広まっている現状を考慮すると発言の意図を不明瞭にするだけの行為であり
    結局使いたいだけだろと言わざるを得ないのである!

    最後の神についての見解は凄くわかりやすかったな
    ああ、なるほどそういう考えなんだなってのが理解できたし
    本質的には俺の考えと割と近いのかもしれないと思った
    それを信じるか、わからないままにしておくかの差なんだろうなぁ
    攻撃的でない有神論って夢もあるし俺は一番好きなんだよね、できれば自分もそうなりたいとすら思ってる
    神と聞くとどうしても「すがる」イメージが強いから無神論者からは有神論者は弱い者と見られがちだけど
    目に見えないものを信じることができるのは実は強いことなんじゃないかと俺は思う
    目に見えないものなど信じず自分の力だけで生きるんだってのもそれはそれで強いと思うけどね
    少なくとも俺みたいなどちらかわからないってフワフワした立場の不可知論者はあんまり強いとは言えないかな

    Reply
  • 2018年5月21日 at 12:35
    Permalink

    Go!Go!いーきのっねー とーめーるーまーでー
    せーいぎーのいかりでー ぶーちぃこーろせー!
    がぜん!ヒーローだ!とのさまーん!
    ふらーいはーい!

    Reply
  • piggy
    2018年5月21日 at 19:09
    Permalink

    その立場は最強

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月21日 at 21:08
    Permalink

    ふむ、どうやら真に理解しているようではないか。
    少々見くびっていたようだ。その点は謝罪しよう。

    それならばもう一度僕の発言を見直すといい。
    僕らは箱の「内側」のシュレーディンガーの猫だと、僕はそう書いた。
    つまり、居るかも分からない神に存在を与えられているのかすら分からない存在が僕達だ。
    存在するかしないか自分達ですら解らないのが僕ら人間だ。
    馬鹿げた話であろう?
    僕はそういう事が言いたかったのだ。

    だが、こうも考えられる。
    神によって存在を与えられている僕らが、
    神の信仰を辞めたら神もまた存在を失うかもしれない。
    また、神が僕らの存在を消せば、
    神を観測できる存在が居なくなる事により神は存在しなくなる。
    僕たちと神はそういう利害関係で生かされているのかもしれない。

    世界に神の信仰が根付いたのは、もしかしたら外界からの干渉によるものではないか。
    それが漠然とした神という存在を我々が深層心理で意識しているだけなのかもしれない。

    と、語ってはみたもののここまでのコメントは
    全て行き当たりばったりで書いてることを告白しておきます。
    おお、神よ許したまえ。

    Reply
  • piggy
    2018年5月21日 at 21:55
    Permalink

    重要な議会とかじゃなければ発言が行き当たりばったりでもたとえ一貫性がなくても問題ないと思ってる
    むしろ意見が変わったり、途中で新たな説が生まれるのもまた議論の魅力の一つである

    そしてそれらは非常に面白い説だね
    俺達の意識の中に神という概念が存在してるのは間違いない
    神という概念は人間という集団単位で見ればその影響力は行動を左右するほど大きな力だ
    その概念の大元は外界からの干渉により植え付けられたものとするならば
    それは間接的に人間達を操作していると言ってもいいだろう

    俺もこの記事を自らの意思で書いているのではく、本当は「書かされている」のかもしれない
    それと同時に俺がこの記事を書くことによってその概念を更に他者に植え付けているのかもしれない
    そうやって神という種は繁殖を続けるのだ

    なんてのはどうだ

    Reply
  • 2018年5月21日 at 22:59
    Permalink

    私神だけどなんか今回デザイン古臭くね?

    Reply
  • piggy
    2018年5月21日 at 23:28
    Permalink

    通常自己紹介で
    「私人間だけど」とは言わない、少なくとも俺は言ったことはない
    なぜならば外見的特徴やそもそも言語を使っている時点で人間同士であることを相手が察してくれるという意識が前提にあり
    わざわざ言わなくてもわかるようなことを言う必要はないだろうと考えているからだ

    逆に言えば相手が察してくれないと考えた場合はこの限りではない
    言わなければわからないのであれば「私人間だけど」と発言するのはなんら不自然な行動ではない
    「私〇〇だけど」という発言は言わなければ相手に伝わらないが故の発言といえる

    つまりあなたは本当に神なのですね!
    おお神よ、かもさんのデザインを丸パクりして手抜き記事を上げたことを何卒お許しください

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月22日 at 00:03
    Permalink

    お前なんか神じゃない(´;ω;`)

    Reply
  • piggy
    2018年5月22日 at 06:37
    Permalink

    貴様ァ!神に向かってなんたる無礼な態度か

    貴様のような古臭いデザインしか作れない異端者は海岸の岩の上にでも立っておけ!

    Reply
  • 2018年5月22日 at 12:35
    Permalink

    ここは神も降臨するありがたいインターネッツですね。

    かもさんを海岸の岩の上に立たせるのさんせーい!
    メガバで海に落としに行きます!

    Reply
  • Kamo'ne
    2018年5月22日 at 12:56
    Permalink

    むしろぴぎが海岸のはぐれ異端者を覚えていた事に驚きだよ。
    コーリングして突き落とすぞ。

    Reply

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